陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
対人スキル……

昨日の続きの内容です。

したがって、今回も己の人格や対人スキルは棚上げします。

でなきゃ、何も言えないじゃん……て訳で。


さて『対人スキル』とは、家庭教育よりもどちらかといえば、価値観の違う他人や友に混じる間に身につくもんだ、という書き方をしています。


まあ、そうだろうな。

家庭という狭い世界で仲間外れって、あるにはあるけど生命の危機にまで発展することって稀だと思うの。

だけど、学校なんかで仲間外れって、生命の危機に限りなく近いですからね。

下手したら、社会的生活の死といいますか、簡単な言葉で言えばイジメです。

そうなると、対人スキルを磨くのも熱が入ると思うの。良しあしに関わらず『集団の空気を読む』『みんなが見ている娯楽や情報のチェック』もその一環でしょうな。


そして、読書やアニメ、映画にも、このテーマはあふれているよなあ。


実は「友情」「仲間」というテーマを前面に、これでもかというほど押し出した作品はそんなに好きじゃないんですが、それでもこの要素無では、ストーリーが成立しないのもまた事実。

「裏切り」も友情の裏テーマだし。

あ、恋愛も対人スキルの代表だな。そうなると、私の持っているブルーレイの中で『対人』要素が含まれないストーリーを探してみると……ああっ「世界の車窓」しかない!!


まあ、そう言う訳で、ふつうに生活していれば、娯楽にすらも、対人スキルという床を磨くタワシとなるのですね。


はて、ソイツは何故、それが磨かれていないんだ?


昨日に引き続き、私は考える。


本は読んでいるよな……下手したら、私よりも読んでいる。

しかし、それが身についていないというのは、彼にとって『読書』とは何なんだ?

人のお説教にはむかついても、作者が読者に向けて発するメッセージは受け取れるはずだがな……何せ、その作者が好きで読んでいるんだからさ。

心を動かされなければ、本など読まないでしょう。

まあ、絵空事といえばそうでしょうよ。

物語の中で主人公が己の愚かさを知り、その反省によって劇的に状況が変わったとしても、現実ではどうかなというもんです。

現実は現実。物語の主人公や話の流れは、所詮は作者の脳内で作られたものですからね。

でもさあ、作者の脳内妄想は、体験や見聞録という現実ベースがあって作られているのよ。


じゃあ、ちょっとは心に染みるものはないのか?


そして気が付く。

彼らには、その『友情』『仲間』というテーマに対し、単なる娯楽、ストーリーのスパイスとしてしか感じていないのか? という事を。


ふむ、納得。


ちなみに『変人』は『対人スキル皆無』とはまた別の人種であります。

私の知る『変人』は、確かに思考回路が独自のオリジナルで、自己申告によると友人は少ないの事ですが、周辺に嫌われてはいない。


変人だから、嫌いなのではない。

嫌な奴だから、嫌いなのである。

基本はこれだな。





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対人スキルとは

人様の事をあげつらう前に、まず私自身、己の人格を棚に上げていることを前もってお断りしておきます。


最近考えるのは、対人スキルは正に千差万別で、年齢性別学歴関係なし。

そして、人はどこで、人間関係を築くのに大切な、礼儀と他人に対する共感性、機知などを身に着けるのか? という点。


まあ、家庭教育もありますね。

ですけど、どこの家庭も、教育方法も育て方も、全てパーフェクトだとは思えない。

親子と兄弟の対人関係なんて、家庭という狭い世界でしか通用しないし、しかもえこひいきとか上下関係とか、純粋な対人関係というにはやや特殊なものが混じります。


学校? まあ、ここでかなり鍛えられるんだろうな。

同じ年頃だけど、友達にはそれぞれ別の考え方や価値観があること、そして先生からも『大人になるための価値観』を教えられます。

例え価値観や考え方は違う相手でも、好感を持ってもらえ、意見を聞いてもらえるは、人に対する礼儀や共感が武器だと、ここで学ぶのです。

読書でも、対人スキルを磨けますね。

ストーリーを追う事は、俯瞰的に人間や物事を見ることでもあるし、視点の切り替えによって登場人物たちの人間関係のパズルを読み解くことが出来るのです。


まあ、上級者編は職場かな。まさに人間のごった煮ですからね。

あらゆるパターンの人間に対応できる柔軟性と応用力が必要になってきます。

ですけど、対人スキルの基礎は家庭や学校生活から学んでいるはずですね。


……それが出来ていない人って、どんなものだろう。

暗殺者養成所育ちだの、傭兵生活を渡り歩いたとかいうなら納得もするんだけど、フツーの家庭らしいしね。

学校もちゃんと行ってます。

まあ、本も読んでいるだろうな


今まで読んだ本に、そういった教訓は無かったのか?

大抵、物語には主人公の生き方であれ、行間にでも、寛容とか戒めとか、教訓めいたメッセージが含まれているけど……


それなのに、どうしてソイツは、そこまで対人スキルを身に着けることが出来なかったのか?

心に深い傷でもあるというのか?

しかし、そんなことを本人に直に聞いたら、私自身が「対人スキルのないオタンコナス」になってしまう。


あああ、でも知りたい。

自分のオタンコナスを反省するためにも。

プレゼンの練習

日曜日、またも山に登っていました。


須磨浦公園からスタートし、西から東の六甲山縦走。鉢伏山から旗振山、横尾山から須磨アルプス、そして菊水山で下山。

朝の10時スタートで、下山が17時半。高速神戸に降りて帰ってきましたわ。


「もう山岳部に入れば?」


反・アウトドア連合の宴である、金曜日の飲み会の目も冷たい。

作劇塾ですからねえ。

おい貴様、モノ書くのが好きだから職業にしたいだなんて言っておいて、今になってモノ書きと山登り、どっちも同じくらい好きかもなんて何をほざくのさですよ。

下手したら異端者審問ですなあ。只でさえ、ビール嫌いという主張で色眼鏡なのにさ。


と、言う訳で、金曜日の朝まで飲み会・アウトドア異端者審問にかけられる前に、山登りの素晴らしさをプレゼン練習しておこう、と思いついた私。


「アレですよ、誰だって子供の頃、冒険ごっこしたでしょ? 自分たちの生活圏のテリトリーから外れた、山だの空き地だの探検しませんでしたか?」


子供なりの装備と行動食のおやつを持って、冒険していたスリルと楽しかったことを思い出します。

家から結構遠い場所、見知らぬ場所や公園の、自分の知らない風景が楽しく、そして未知の場にいる微かな怖さよ。

そして、一度その場を征服してしまえば、自分の遊び場のテリトリーが広がるんですね。


……で、大人になって、この山登りがその延長。


お気楽旅行と違って、装備が物言いますからねえ。オシャレよりも機能性。

吸水速乾が基本、重ね着基本。

揃え方には頭を使う。いつもと違う、ちょっとした緊張ですよ。

山中の行動食は何にしよ? 飲料はもちろん大事。疲れないためにはカロリーだけじゃなくて、クエン酸だのビタミンも必要ね。甘酸っぱい乾燥レモンなんてお勧めよ。

コンパスと地図は忘れたら駄目。

おお、明日の天気はどないかな。


そして山の中。

あれほど、子供時代に遊んでいた『冒険ごっこ』映画やゲームの中で見ていたそれに重なるものはない!

街中ではない風景。山中にどこまでも続く樹々と土、岩の世界は、うっかりすると迷います。

岩をよじ登り、斜面を滑り下りなんて、会社への通勤途中じゃまず味わえないわな。


それにですね、とどめは『登山すると、水が異常に美味い』

汗かいてるし、純粋な意味で体が水を欲しているのでね。

甘露とはこれか!! と思いましたもん。


山に登ってビール飲んだら、きっとその美味さなんか、頭脳労働の後の仕事明けの一杯ではない、もっと違った味ですよ。


「……てな感じでいくか」

独り頷く私。

それから、これも付け加えておくか。

「リアル・ナバロンの要塞ごっこですよ」

分かって頂けますでしょうかねぇ。



駄文更新

私信:SF担当殿


3月17日のブログ内容を拝見しました。


さては、賞に落選したのを良いことに、職場の上司におやつをたかっただの、出世したってセクハラもパワハラも出来ない職場なんか権力を握る張り合いが無いだの、文句を垂れ流してた私のことか!?


いいじゃんかよ、3月24日の飲み会でどっちが正しいか決着つけようぜ。


……ここまで書いて、気が付いた。

さて、決闘の内容は何にすればいいんだろう。

これなら彼に勝てますよ!! という勝負を思案中。



駄文更新

よくよくよくよく考えてみれば、我が作劇塾は『反・健全、健康的生活党』の人々です。


考えてみてくださいよ。

健全な思考回路を持つ人間が、小説だのシナリオだの書こうと思いますか?

フツーの市民なら、単なる想像や「ちらっ」と考える思考をわざわざ言語化し、ストーリ仕立てにした挙句、脳内構成して文章をつくってつらつらと書きなぐる人たちですよ。


大体ですねえ、筆頭塾長自らが「運動は健康に悪い」と言い放ち、暗幕と書棚によって、本来さんさんと降り注いでいた日差しをブロックしてマイシアターをお作りになっているんですよ。

金曜日は夜通し飲んで、カオスと驚愕、下品と高尚、話術のシュールレアリスムが展開されているんです。


そんな世界の中で『山登り』なんて趣味が受け入れられますか?

反・健全、健康的生活党の人々は、反・アウトドアでもあるのです。

白い目で見られていますよ。


それでも山へ登山へ行ってきます。


と、そう言う訳で、おやすみなさい。