陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
この初心は忘れるべきか。
先日、段ボールに詰め込まれた、、昔書いた作品が出てきまして。
パソコンもワープロも普及していない時代のものです。ノートやレポート用紙に書きなぐっている。
捨てるに捨てられず、封印していたものでした。背後に誰もいない事を確認し、封印を解いてみた私。

「SFアクションばっかり書いてるな」

アニメの影響を受けているものばっかりでした。未来の警察官の話があるな。
主人公と仲間の警察官、皆独身寮に入っていて、それにまつわるエピソードもある。

おお、麻薬中毒で死んだ犯罪者サイボーグ、脳は死んだ状態で身体の機械部分だけが暴走し、独身寮を破壊しようとする話がある。それを寮住まいの警官たちが主となって対峙するのですが。
生身VSサイボーグ。苦戦する警官たち。

「あのキチガイサイボーグ、寮に封印して建物ごと爆破しろよ」
「貴様、寮を何だと思っているんだ! 勝手なことぬかすな」

外部通勤者VS寮生活者同士の争いにも発展。
そこで登場、マッドエンジニアの警官。

「急増する違法サイボーグの犯罪に対処するために、技術部と共同開発しているモノがある。データ収集と実戦の機会だ。使おうぜ」
てなもんで、パワードスーツが登場。

塾のSF担当者が読んだら、こっちに風船爆弾を飛ばしてくるであろうクオリティ。

しかし、何だって今はホラーしか書いていないんだっけと思い出すと・・・・・・そうでした。

この塾は、合評というシステムがあります。自分が書いたものを人様に読んで頂かなくてはいけません。

それを知った時に思ったのでした。私が書いた恋愛やヒューマンなんて、絶対に面白くない。

どうせなら、ぬるいのじゃなくて強烈なのを書こう。
じゃ、ホラーだな。

そんな感じ。

なんて消去法かつ、後ろ向きな理由かしら。こんな初心なんて忘れた方が良いかも知れんと、我ながら感心しながらも、今夜も血まみれを書いています。
妄想好きという救い
合評課題は15日に提出日。
書き終えて、今回も無事に提出。

「スリーデイズ・ボディ彼女がゾンビになるまでの3日間」という映画がございまして。

綺麗なレズビアンのお姉さんが、上手くいっていない恋人の当てつけに犯した一回こっきりの浮気のせいで、えらいことに・・・・・・というお話。綺麗なお姉さんの体が徐々に腐り果てて、やがては・・・・・・というお話です。
己の体の不調、変化に戸惑い、怯えるヒロインの心境を描くこの映画。
厭だなあ、私好み。

これに、10代の恋心を絡ませる事にしました。
10代の恋の悲劇というか、暴走。けけけ。

10代の恋心・・・・・・藤本ひとみ大先生のおかげで、心の住民票はいまだ二次元に移したままの私ですが、下界の恋模様を見て語ったものがある。

『恋は暴走、愛は狂気』

特に、10代の恋なんてさー、目の前にいる異性を、自分の現実的な将来像や生活というものを計算や打算に入れて選別しませんからねぇ。
若さゆえに、欠点と瑕疵だらけの不良物件を「運命の恋」「私しか理解できない」という、不動産屋の悪魔のセールストークによってよって購入してしまうのですね。

いや、購入出来る資産(可愛いとかモテるとか)があるんだから、幸せだろ、と言われちゃそれまでだけどさ。

たまに思うのです。
モテもなく、その可能性も無い青春時代を送ったワタクシに『妄想好き』がなかったら、どうなっていたのか。

この売るほどある心の闇も『妄想好き』なくしては小説に転嫁できなかったであろう。だとすれば、単なるヒガミとイジケと体重しか持たない、うぜぇ奴になっていたな、きっと。

妄想好きだからこそ、本来ならヒガミの対象を『楽しい題材』として冷静に見る事が出来て、『美人と可愛い』を、単純に目の保養として、僻むことなく済んでいるんでしょうなぁ。
でなければ、私の周囲は不審な死者であふれていますよ。

「そうですか。ワタシ、あなたの事を妄想好きの女装したおっさんと思っていますが」
「甘いモノ好きファンシー好きの乙女思考のおっさん」

職場の人々の弁。
何とでも言え。
とりあえず、妄想は個人の自尊心を救うのだ。






友情と笑い
10代の友情というものは、お互いが一体化しているような、一種恋愛関係のような感情を抱くものですが大人となるとそうはいかない。
自分と他者の区別がつくのが大人なのよ、それを前提にして築くのが友情ってもんよ。

その昔、読んだ小説で『おおっ』と腑に落ちたことがありました。
友情と恋の違いって、価値観を共有できるかどうか。
恋人は、価値観を共有して同じ線を歩きたくなる、友達は違う価値観を認め合い、平行線の上を歩くのに抵抗が無い。
恋は自分と相手を一つに溶け合わせたくなるが、友情なら二つのままでお互いを静かに認めていられる、と。

おおおと思いました。藤本ひとみ先生です。
『夢美と銀の薔薇騎士団』シリーズの中の一節でした。私の中では名言です。素晴らしい。
ちなみに、ワタクシこの方の小説を愛読していたせいで、カレシ作るのが5年遅れました。いまだに後遺症で、理想の殿方とは二次元にしか存在しないと思っています。
どうしてくれる。

さて、私の中では『笑いのツボ、人の悪さ加減は同じかどうか?』が選別基準に入っておりまして・・・・・・

あれは数年前夏、京都での事でした。

友人と二人、昼飯どうするとか相談しながら先斗町を歩いていた時の事。
ある料亭からどやどやと初老の男女が10人程出てきました。おじさん達は昼酒飲んだらしく、ゴキゲン。男女比から見て、同窓会だと思った私でした。

「来年も会おうなー」
「次どこ行く? 決まってんの?」

ああ、やっぱり同窓会だね。そう思いながら、私たち二人で、道を占拠するオジオバらの間を突っ切ろうとしたところ。

「お客様! お忘れ物ですよ!」

料亭から走り出てきた店員さんです。手に持っているのは『写真が入った額縁』でした。
おや?と顔を合わせる私たち二人。
あのー、あの写真って、大きさから見てもしや・・・・・・

集団の中のおばちゃんが叫ぶ。
「ダメじゃないの!●●さんを忘れるなんて! 泣いてるよ!」
「あかんやないの!」
「いやーごめん、ごめんなあ、すんません」写真を受け取りながら、へらへら笑う酔っ払いオヤジ。

仲間の遺影!?

あんたらひでえよ、私なら化けて出るぜと、同窓会集団の背中を見ながら、灼熱の京都先斗町で腹を抱えて笑った私たち。
遺影を持って同窓会にやって来ておきながら、忘れて帰ろうとしたその薄情さ、友情の梯子の外しっぷりが見事に腹にヒット。

さて、この話をしたところ、見事に感想が二つに分かれるんですね。

「ひどい話」と大笑いする人と
「何で? 遺影を持って来てくれたのよ、その人、良い友達じゃない」という人。

・・・・・・笑いのツボ、これも相性を語る上で大事だなと思った次第。

いや、この話に笑わない人は、性格的に真面目な良い人なんですね。

ただ、私個人に限って言えば、友人に脳内同士(勝手に私から一方的に好かれている人)は、全て『心の闇の濃度』が同じくらいかそれ以上。

書いていて気がついた。

そういえば、我が友人って「分かりやすい善人タイプ」がいないぞ。
あっちも同じ事考えているんだろうな、そりゃいいな。















酒を飲んだら
出来たらブログを毎日更新しろ。

と、先生は以前仰られていた。
毎日書く事を見つける事、語ることやネタを見つけるのも、クリエイターの修行であると。

そうですね。確かに私もそう思うのです。
書くのが好きだとか言っているんだから、更新しろ。書くことあるだろと。

・・・・・・あのー私、告知することなんかないしね。
悪の妄想だって、そりゃ毎日していますよ? でもさーブログに公開できるものは限られているんですよ。
妄想全て公開したら、このブログは『残酷描写あり、グロデスク表現ばっかりで、色彩は全て血と内臓の色』でR-18指定。

イヤそれ以上か。作劇塾で遠巻きにされるばかりか、通報されるか迫害されるか、分かったもんじゃない。

それでも、色んな話題のパーツをつないで構成し、ブログの内容を書くのが私の方法だったのですけど。

夕食に酒を飲んだら、その構成能力が見事に霧となって消えうせるのです。
焼き鳥屋でチューハイ2杯、ワイン2杯、まあそんなとこか。
飲み過ぎではない。絶対に。

気分も悪くないし、理性はまだ残っているし、判断能力も残っている。それなのに、まっさきにアルコールによってやられるのは、文章の構成能力らしい。

作劇塾飲み会の事、中世の貴族社会や産業革命を裏から支えた、ブラックどころか暗黒の職業の話、宮川香山という作陶家や、電車の車両に弱冷車つくるなら強冷、いや凍結車を作れという訴えが、全く文章化すらできず、構成も出来ない。

中島らも先生は、酒を飲みながら小説を書かれていたらしい。

修業が必要なんでしょうか?
悪の妄想②
もうお亡くなりになってしまったけれど、森瑶子先生は子供のころから妄想好きだったらしい。
お姫様とか、そういったロマンチックな想像をしていた。それが作家になる一つのきっかけだろうとエッセイに書かれています。

森瑶子先生の小説は好きだったなあ。文体が洒落ていて、心理描写が実にエッジ。
例えば『見えない傷口からドクドクと赤い血が流れている』という傷ついた心の描写
『鼻越しに相手を見た』という、相手を小馬鹿にする描写とか。

まあ、作家志望じゃなくても妄想好きは、私の周囲にも数知れずです。特にジャンボ宝くじを買った後、一等前後章大当り妄想しない奴なんて性格異常者です。

そこで、私の妄想はどっちの方面にあるかといえば・・・・・・

人生相談を読んでいました。相談者は娘を持つ60代の女性。

娘さんが高校生の頃、酷いイジメにあったそうです。小学生の頃にお父さんを亡くして、気が弱かったせいもあるだろうとのこと。
娘さんはそれが原因で卒業後は重度の鬱病に。人間不信が強くて9年間も外出がままならない状態で、自傷行為もあった。でも幸い最近になって良いお医者さんにめぐりあい、少しずつ快方へ。

ところが、先日いじめのリーダーが結婚して、赤ん坊が生まれた。やりきれない気持ちでいっぱいです。どうすればいいのか?
と、いうご相談。

まあ、その回答は当然ながら、恨みの気持のエネルギーを、是非娘さんの回復に向けましょうというもの。
人やモノと、良いつながりを持つよう頑張りましょうというものなのですが。

私的回答、及び妄想。

「しょうが無いでしょう、それだけの事されて、忘れてしまえなんて無理ですよ。
無理はいけません。思いっきり吐き出してしまうのです。
そのリーダーの住所はご存知ですか? 手紙を書きましょう。普通の便せんと封筒を使って(これ、ポイント)当時のあなたのいじめが被害者にどんな影響を及ぼしたか、淡々と書くのです。良いですか? あくまで事実を淡々。 それを毎日最低半年は続けましょう。
絶対恨みや脅迫じみた事を書いちゃいけません。何かあった時、この手紙は脅迫状じゃないと逃げ道を作るためですよ。 
大丈夫、それでもコレ、かなり精神的にきますから。しかも、過去のいじめなんか誰に相談出来るのさ。親か? 夫か? 友か? しかも相談するためには、手紙を見せなきゃいけないけど、それは自らのいじめの罪状を告発すると同じ。

ああ、そうだ。慰謝料とかいう話になっても、金を受け取っちゃだめです。金よりも詫び状書かせて、目の前で土下座させなさい。
まあ、彼女にはお子さんが生まれたそうですし、蛙の子は蛙にさせないためにも、しっかりとその心に烙印を押してあげましょう。
けけけけ

・・・・・・最近のホットな妄想。
人生相談の回答者になりたい。






悪の妄想
朝の通勤風景、プラットホームから電車の車内まで、スマホを見ている人間は多い。

別にガラケーユーザーだからじゃないけど、時としてスマホ使用者は『邪魔』なんですわ。
昇降口の前に立っておきながら、電車が止まってドアが開いても、そこをどかないゲーム野郎。
スマホ画面を見ながら、駅の階段のろのろ降りる奴。
すごいのになると、ホームへの階段の途中、ど真ん中で立ち尽くしていたもんね。

スマホに夢中で、周囲への注意力無し。警戒心ノーガード。街中でも多いですねえ。

そんな世の中を憂うるより先に、不思議に思うのですが。
何で、いまだに歩きスマホ人を狙った犯罪が無いのだろう?

こないだ『フォーカス』という映画を見ていました。ウィル・スミス演じるプロの詐欺師が、美人の弟子にスリの極意を教えます。

「視線を盗め」

わずかな隙をねらえ、一瞬だけでも相手の注意をそらせろという事。簡単そうに言うけど、これ高等テクニックなんですけどね・・・・・・でも歩きスマホ人なら、簡単じゃないの。視線を盗むまでも無い。

ちらっと考えました。スリのテクニックを身につけようかしら・・・・・・などと。

いえ、スリの技術なんて無くても、歩きスマホ人にわざとぶつかって、モノが壊れたとか汚れたとか言って、弁償させるのもアリか。
余所見どころか、彼らは手元しか見てませんからね。言い訳は出来まい。

私ならワインを使うかな。高級か安物か、フツーの人には見分けがつきにくいもの。
ああ、それなら壺も使えるなあ。特に信楽とか備前とか、ああいった陶器になると、恥ずかしながら私も目利きは全くゼロです。
あー待てよ、当たり屋をしたカモが、壺とか目利き出来る奴である可能性も考えて『親の形見のツボ』としたほうが良いか。

いくらとれるかな。まあ、若者相手なら2、3万。サラリーマンなら、衿についている社章を見てから金額を決めよう。

・・・・・・と、朝の満員電車の中で、犯罪妄想にふけっています。

ちなみに本で読んだ話ですが、イタリアでは泥棒の専門学校があるそうで。
この学校の卒業試験は、体中に鈴をつけた教官の背広の内ポケットから、音を立てずに財布を掏ることらしいです。

流石はイタリア! ちなみに私の知人、イタリア旅行経験者4人中3人が窃盗被害に遭い、1人がその目撃者。

その学校が本当にあるのなら、留学したい。
持ち腐れの才能
知人に、恐ろしい奴がいた。

高校の美術の時間、油絵で名画の模写をする課題があったのだが、そこで知人はレンブラントの肖像画を描いた。
・・・・・・それは、模写ではなかった。

贋作だ。

イヤ、よく見れば手の描き方とか、細かいところにレンブラントではない、知人のクセが出ている。
でも、男の顔の表情や袖のレース部分、光の陰影など、どう見たって高校生の作品じゃない。

その知人は模写の才能があった。あんな不思議な人体の関節、荒木飛呂彦の絵をトレースできる人間なんか、初めて見た。
自分のオリジナルの絵を持っていなかったが、ここまで見事なトレース能力は才能と言って良い。

その数年後、やはり才能をそのまま温存していた知人に私は言いました。

「就職が難しいなら、漫画家か絵描きになろうよ。美術館でたまに名画の油絵の模写を売っているけど、あれ高いんだよね。それおやり。もしくは二次創作。二次創作ってさ、特にエロなら絵がオリジナルに近いのも、重要なポイントだし」

答えは一言「そんな気ないよ」

「絵は描けるから描くんであって、仕事にしてやりたいってほどでもない」

世界が青ざめるほど驚愕しましたね。
私にとって、喉から手が出るどころか、腹を突き破って出るくらいに羨ましい才能、そしてその使い道に、何の価値も見出していないこの知人の頭をかち割って、脳内を見たくなったし。

結局、知人は絵の方には全く別、かすりもしない方向へ。

才能があるとは、その結果を出した人をいう、とは言いますが、世には案外、こんな風に持ち主の「そんな気ないよ」で埋もれ、外に出なかった才能がたくさんある気がする。
なんだか、むなしいなあ。

ところで、参院選はこの結果になりましたが、去年の夏、あんなに騒いでいた『自由と民主主義のための学生緊急行動』のシールズは、どうなっているのでしょうかね。

まあ、選挙へ行こうと訴えていたことだけは、彼らと同感だったな・・・・・・。
塾のこっち側
合評。

倉庫内のスタジオでの殺戮シーン、殺されるモブキャラの描写をもっとちゃんとあっても良いんじゃないですかねというお言葉。

「モブとはいえど、このヤクザから見れば立派な子分。子分どもが化け物に豹変して殺し合う、その辺りの感覚が薄いですよ」

あああ、また書き直しかよと魂が抜けかけた瞬間でしたが、先生の言葉。

「まあいいや、次いけ次の章・・・・・・でも、指摘の部分はちゃあんと直しておけよ」

宿題となりました。ハイ、とりあえずクリアですね。
わーい、やっと次の書けるぜ。

さて、派手な殺戮を終えて、家出から戻った主人公。その主人公を迎える両親。
彼の家庭環境と教育方針を織り交ぜて、いやあな後味を残して次に続く・・・・・・から新章です。

次は彼の隣人関係の章。
ふふふ、実は『アンチ幼馴染』の私。昔よく観た、幼馴染の世話好き女子とマイペース男子のパターン。

私が男なら、ああいうタイプの女の子はやだなあとつねづねでした。特に、幼馴染の女の子が、朝の登校前に起こしにやってくるパターン。
大抵、有無を言わさず布団を引っぺがすのよね。
『てめえ、俺の朝の目覚めを邪魔する気かよ!』
と、オレ(脳内男子)なら怒るぞ。
顔に枕を叩きつけてやる。

後、2,3分待てば、快適な目覚めという、朝のダイヤモンドが手に入ったかもしれないのに、貴様途中で起こすとは何事だ。
第一、目ざまし時計の立場をどう考えているのだ。

と、怒鳴り散らすと思うのです。

と、まあそんな事を考えていたので、それのアンチ版を書きたいと思っていました。ふふふ。
血塗れから、思いっきり厭な鬱話にしてやる。

嘘ついて褒められるのが小説家ですが、心の闇を思いっきり解放してOKな作業も小説。

常日頃、真っ当な良識を持つ勤勉な大人の女として生活する、私の内部世界のバランスはここで保たれているのね。うふふ。











お局って誰の事です?
授業風景で気がついた。ありゃ、もしかして私って古株?

作劇塾の門を叩き、そろそろ5年目です。途中、半年間とか一ヵ月とか休んだ期間はありますが、ここ何年かは毎月顔を出しているな。まあ、授業が木曜日から金曜日になって通いやすくなったというのもアリですが。

いつぞや、一年以上通った人があまりいないと聞いた事があります。
今の塾は社会人が多い。経済的理由とか、本人の意思というより、生活環境や仕事の都合などによって、やむなく休塾というパターンが多いのです。

・・・・・・休む理由を聞けば、尤もだし、無理も無いと思えるのですが、それでもお願い、カムバック! と内心お願いしまくっている塾生さんもいます。このまま作品を書かなくなるのは、すごく勿体ない。そんな人材もいらっしゃるのでして。

本当に正直言ってしまうと
「やだなあ、この人の作品読んでぶっとばされて、コンプレックス持ったまま終わるのはゴメンだな。私とは作風が違うとか、ジャンルが違うとか、私の中で折り合いがつくまで、続けて欲しいよ。つうか、この人の書く話の続き読みたい」

なんていまだに思う人もいます。

そして、古株なんて存在になったらしい私。
何でここまで来たのだろう・・・・・・と分析すると、するまでもなく。

だって、ここ以外に私の小説読んでくれる人がいないんだもん。
と、いう事でした。

確かに、合評は容赦ないです。ケチョンケチョンにけなされ、書き直しや全面改稿、自分の脳内世界と妄想に茶々いれられたら、意気消沈するわね・・・・・・ですが、やっぱり書くのは面白い。
その世界においては、私は創造主、すなわちカミサマ。
私が考えなければ、出来なかった世界と思うと、楽しいじゃないですか。

と、いう訳で。

書き手も読み手も同一人物も楽しいですが、合評に出してけちょんけちょんも楽しいですよ。

批評内容に納得いかなけりゃ
「け、そういう意見もある事にしてやるよ」と思っておけばいいのです。
まあ、実際に人の意見を取り入れた後の方が、面白くなっている事は多いのですけど、それならそれで大いによし。

今は塾に来れないけど、カムバック出来る人がいればいいなあ、と思っています。
















更新してはみるけれど
『週に三回はブログを更新しろ』
と、先生のお言葉。

・・・・・・えええ。

それならまあ、塾の光景とか塾生の人となりだの人間模様だの、先生の事だのとそう考えていたところ、すでに違う塾生が、そのような内容のブログをアップしていた・・・・・・やられたわ。

二番煎じはよろしくない。違う内容を書かねば

ワイン1本空けたので、もう寝ます。