陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
読書日記

エンターテイメントなんだから、基本はハッピーエンドが良いに決まっています。見終わって爽快、後味良い結末が見たいのよ。現実は世知辛いんだから、頭の中で作った話くらいはハッピーエンドで終わらせてくれ……というのが本音です。実のところ

安心して見ることが、読むことが出来る、というのも作品を選ぶ基準。読み終わった後に「……」と頭を抱える、救いようのない結末のものを見てしまい、3日間ウツになった事がありましたわ。


しかし、大人になってからは『バッドエンド』作品が、そうイヤではなくなりました。

小説を読むというのは一種の疑似体験なんだけど、厭な後味を嗜虐的に、傍観者の立場から読むのも楽しい。

ハッピーエンドの持つポシティブさより、バッドエンドのネガティブの心への食い込みよう、登場人物に対する嗜虐的なものと、バッドエンドに「……」となる己の被虐的気分、そして悲惨な世界から現実に戻ってほっとする、あの感覚。


……と、言うわけで、ただ今平山夢明さんの本を読んでおります。

『ヤギより上、猿より下』

このタイトルの意味が分かった時、うわ、きっつううう、です。

女性のお値段です、つまりは。

ああ、ぐちゃぐちゃだわ。脳内シェイクされるほどの衝撃、アッパーカットが効いている。

お下品と鬼畜と罵詈雑言をこね回し、毒をスパイスにして皮肉の窯で焼きあげたような……この人の作品は、救いようのないどん底にいる人々の悲喜劇です。幼い妹ともども、母親に殺されそうになる小学生の息子、30年前に失踪した娘を探す狂った老女と、その相手をすることで生計を立てている男、年老いた殺し屋、底辺の売春宿で下働きする少女、キャラクターの語り口調が投げやりでありながら、開き直っていて妙に明るい「最悪劇場」


悲惨がかえって笑えてしまう……こんな明るい混沌が書きたい今日この頃。










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駄文更新:霊感少女

現在は妖艶ですが、可憐だった少女時代をたまに思い起こし……慌てて忘却のシャッターを下ろします。俗に10代という青春時代は、人生で一番輝かしく、エネルギーを持っていた日々と思われていますが、私個人的に聞き取り調査をしてみますと

「昔の俺は俺じゃない」

「高校時代なんか、思い出したくもない!」

「……(沈黙)」

甘酸っぱく、苦くも微笑ましい時代といわれるようですが、人によっては『人生で馬鹿ぶりを一番輝せていた愚かな時代であり、無駄なエネルギーを暴走させて壁に追突、破壊していた』という、暗黒時代のようです。正にその通り、同感です。

思い出すたびに、私も忘却のシャッター下ろしていますからね。

実際、己の暗黒時代の証言者たちに会いたくないがために、同窓会には出席しないと言い放った御仁もいます。一体何をやったのでしょうか?


さて、10代とは幻想と激しい思い込みゆえに、己独自のアホ世界を構築し、その世界観を現実に垂れ流すという過ちを平気で犯します。


その『過ち』の元となるのが、アニメに同人に漫画の世界と色々ありますが、霊感というジャンルがありまして、クラスに一人二人三人はいたものです。

「体育館の裏には行かないほうが良いよ……あそこ、悪い霊が溜まっているから」

「●●ちゃんに憑いている霊が、私に話しかけてくるのよ」

「悪い霊を背負っている●●さんとは、あまり近づきたくない。頭が痛くなるから」


神戸、京都は古い霊が沢山漂っているので行きたくないと言った霊感少女がいました。

不便だな。


昔アニオタ、同人オタだったという人とは良く出会いまして、お互いに恥ずかしい思い出話に花が咲き乱れる……というのはあるのですが、はて『元・霊感少女』とは一度も会わない。

大人になった霊感少女って、どこにいるんだろう……昔は結構な割合でいたんだけどな。

今では「霊感? 無いよそんなもん。幽霊? 見たことないな。怖いじゃん」

こんな人ばっかり。さてさて。

これは住み分けの問題なんだろうか?


そう言えば、高校の校舎が悪霊の巣窟だって言う理由で、入学式1週間後に退学した人がいたなあ……受験前の下見で気が付かなかったんだろうかと、未だに謎です。






妨害いろいろ

えー、仕事中に思うんですよ。

ぜえったいに真っすぐ家に帰って、パソコン開くぞ! ご飯食べたらすぐ取り掛かれ!


ふふふ、そう簡単に行くのかしら? と寄り道の神。

通過点は梅田よ。第三ビルには中古のDVDに本屋さん。駅前は書店にデパート、おまけにかっぱ横丁は綺麗になって、古本掘り出し物一杯、さあ、この誘惑を振り切れるのかしら?


道中、悪魔の誘惑の店看板が目に入らぬよう、目をつぶって突っ走り、電車に飛び込み何とか帰宅。

さて、ご飯食べるか……もちろん、酒は飲まんよ。書きたいからね。

だったはずなのに。

……BSで「ローマの休日」放送していた……あああ。


それにしても、ネタをあれこれ考えて筋道を立て、一応の最終、着地点を考えてから書きだすのが、私のいつものやり方なんですが、書いている内に『違うスタイルのほうが良かったかも』と、迷いがたまに生じます。


同じ長編を書くにしても、連作短編のほうが良かったかな~とか。

ネタによっては長編向き、短編向きとありますが、一つの事象を色々な人たちの視点で書けば面白いよな、となれば、各自の視点で物事を描いた、連作短編の方が面白い気がするんですね。


だけど、1人の人間の時系列を追うスタンダート手法は、じわじわとした恐怖にうってつけ。


どっちが良いのかなあ、とタイピングの手を止める。

書き直すなら今の内よ、と悪魔のささやき。

「……ローマの休日観ちゃったから、そんな時間無い!」


書いていると、いつものように「どうやって場面転換するんだ」「この場面は誰の視点が面白いんだ」「つうか、書いているコレ、面白いのか?」「書き直ししたほうが良くない?」


時間との闘い、本屋の誘惑、映画の魔の手、己の迷い満載自問自答。


……これだから、一作書き上げた時が最高なのよね。














手入れしつつ、振り返る。

さて、北アルプス縦走5日間酷使しまくった登山靴のお手入れをしながら振り返る。


本日、休暇を終えて出社。おはよーございまーすと私。

「おや、お早う」

久しぶりですねえ、我が女性上司・主任。

私が山で遭難するかもと、ご心配でしたか? ほほほ。

「いや別に。心配も何も、キミなんか夢にも見てないし」

「……そりゃ無関心って意味ですか?」

「だってさ、キミがもしも遭難してみろ。早速その夜に夢枕に立って、お供えを督促するに決まってるでしょうが」

「ワタシ、山で遭難しているんですよ? まず行方不明の遺体を捜索頼みます」

「アルプス、広いからなあ……」

確かに、地元住民の方々の山菜取りついでに発見出来るってトコでも無いしな。

ま、いいか。帰って来たし。


……などと職場の会話を思いつつ、登山靴の手入れ。

靴ひも外して中のクッションも出して水洗い、本体は泥をぬぐって栄養クリームをすり入れる。

イタリア製のザンバラン社、フジヤマ NW GT、結構傷が入ってます。

色んな思い出あるな。

崖登ったり川の中入ったり、がれ場を歩行したりとプチ冒険だったからなあ。

オールレザーで頑丈、そのくせ履いたら重さは感じない。

ゴム製のソールは、固くて衝撃吸収性が高く、滑らないビブラム社製。足首も安定していたので、どんな岩場を登っても、でこぼこ道を歩いても、足元がぐらつかず、安定感があります。この靴があれば、どこでも行けると思ったね。

実際、北アルプスでも威力発揮。


この靴のおかげで、山が好きになったと言ってもいい。アルプス行きたいと思ったのは、この靴があるという安心感あってこそ。

良い道具は人を引っ張り上げる、それを実感しましたね。


楽しかった事を思い出しつつ、封印。

いや本当、半年間だけど楽しかった。本来なら疲れるはずの山登りが、まさかこんなに面白いとは思わなかった。道を間違えるくらい。


プロになったら、出してやるから待っててね。


さて、元の道に戻ろうか。






……心の闇

以前よりは司会ローテーションが長くなったので、考える猶予は出来たんですけどね。

しかし、人数が増えた分『ネタ被り』という可能性が増えたんですね。

二度三度、内心きゃああああと叫びました。ああ、ネタを先にこされた!


読む本の多くは、物騒な本が多いです。最近は、澁澤龍彦の「毒薬の手帖」という毒殺事件やその歴史に関わるエッセイだの、殺人に関するノンフィクションだの。

感涙モノ、感動ものはどうも読む気がしないのよね……広告に『泣きました!』『涙が止まりません』なんてあると、ふっとニヒルな笑いを浮かべてしまう。

何だかなあ、教訓話とか感動秘話って、外に出た瞬間に安っぽいものに思えて仕方ない。

一番苦手なのは、闘病ものですね。

余命いくばくか、残された命を精一杯生きた云々なんて、世間に公表された段階で、生理的にダメだ。


……と、つらつら考えている内に思い浮かぶネトラジのテーマ。

『心の闇』


感動ものは浅いけれど、闇は深淵だわ。

そこに人の本質があるのよ、うふふのふと考える。


でもさー、怪談って『夜』ではあるけど『闇』じゃないよなあ。

闇って欲望と直結するけど、幽霊って欲はないもんねえ。


何て考え中。


塾生の皆様へ。

このテーマはもう私の物です。

よろしくね。

登山と創作

約7キロのザックを背負い、1・5キロの登山靴を履いて一日平均9時間は山道を歩くアルプス縦走、車内泊をいれたら4泊5日。

22日の最終日の昼に下山して、松山から高速バスに乗って約6時間後の9:00頃に梅田到着、その足で作劇塾の飲み会のみ参加……というハードスケジュール

その後、酒を呑んだんですから記憶があいまい。

「アウトドアに走った奴は、書くことをやめる」という怒りの言葉を聞いたようなそうでないような……


……そうかなあ。

書くことと山登りは、一見全く別物に見えますが、実は私の根っこ部分ではつながっているんですね。

書く時も頭の中で言葉を紡ぎ、編集しているもんですが、山歩きをしている時、私の頭の中は己との対話です。その対話内容が、今後の生活や書く内容に直結すること多し。


書くこと歩くことが、考える作業に直結しているのです。

それにねえ、山の中って考える場所としては最適です。自然の風景の中、余計な情報は目に入らないから、頭の中クリアだし、どんな人気のハイキングコースでも、突然人の姿が見えなくなり、エアポケットに落ちたような静寂と、孤独に取り巻かれる瞬間があります。

思考の黄金タイム。


書くも登るも、どっちも好きなのよね。これが本音ではあります。

究極どっち取る? と聞かれたら創作ですが、究極じゃないからどっちも好き。


もう一つ、創作と山登りで共通しているのは、最終的に当てになるのは自分しかいないという事。

それにですね、どちらも集中力、持久力の体力勝負になります。

山を一つ登り切ったら、まだまだ体力は大丈夫だなという安心と自信につながります。

それが創作にも関係してくるので、必ずしも害にはなっていないんですよ。


あ、でもアルプスでは滑落しかけて霧に巻かれて道を見失いかけ、遭難しかけて凍死しかけたか。


……創作の方が、生命的には安全だな。



本を読む

やっぱり、本って面白いわな……と思いつつ、読書週間。

遠藤周作先生『王妃マリー・アントワネット』上下巻です。マリー・アントワネットは有名過ぎるほど有名、フランス革命と断頭台とベルサイユが揃えば、必ず出てくるお名前です。

中学生の頃に読み、そして再読。


14歳で政略結婚として、異国の地に嫁いだマリー・アントワネットの孤独と不安は、大人になった今となっては更に想像できるものですが……実は、やっぱりこの王妃、好きになれない。

他にも書物は出ていまして、彼女の人柄を『母性的な女性』で、古臭い宮廷のしきたりを壊し、人事など新しい試みを取り入れようとした革新派であったとか、当時のファッションリーダーであったという記述もありますが、やっぱり「思慮の浅い、想像力の無い女性」ですわなと感じてしまいまして。


「お姫さま養成」のハウツー本を読んでいましたら、その作者にとって、理想のお姫様がマリー・アントワネット。

常に優雅で美しく、それをポリシーに最後まで威厳を保っていた、というのがその理由ですが……ううむ。


一国の王妃というのは、美しさと優雅さそれ以前に、大事なものがあるだろうよ。

庶民の血税を土台にして立っている、そのポリシーは国民の腹の足しにもならんな。

母ちゃんは偉大な女帝なんだけどな。


何て文句言いながら読んでいましたが……いやはや、歴史ものは面白いです。

私の知らない時代、過去の人々が何を考え、どう生きたか。鮮やかに浮かぶ群像劇。

マリー・アントワネットの境遇を嫉妬しながらも、たくましく生きる少女の娼婦、現実の貧富の差の中で、教会の人々が説く『キリストの愛』は本当の救いになるのかと悩む修道女や、首飾り事件など、各事件の裏で暗躍する悪党たち、そして忘れていた、王妃を愛した男、フェルゼン。


図書館に住むことが夢の私ですが、紀伊国屋をそっくり頂くのも私の夢。


今年のクリスマス、サンタさんに頼んでみるか。





帰阪です

無事に下山はしていても、19時からの授業には間に合わんわな。

夜中のネトラジ収録はきついかな。と

……と、言うわけで、ちらりと『休む』という単語がちらついたのですが、思いっきり怒られましたので、大阪へ向かっているところ……と言いたいけど、コレも予約投稿。


ええと、無事に下山しているんでしょうかねえ。予定では燕岳から中房温泉に下山が昼頃、ここで一発風呂入って、大阪へ向かうという事ですが……


合評ですが、こりゃあ時間どうりに帰れんわな、じゃあ今回の課題提出はどうしようか……と思ったんですが、これは合評で皆の意見を聞くという目的と同時に、期日に合わせて作品を仕上げるという訓練でもありますので、合評内容は聞けないけど、提出。


まあ、そう言うわけで。


今夜、私が現れるかどうか?!


あ、今回の飲み会料理当番、誰かよろしく。


今、アルプス

只今アルプス。

北アルプスの山小屋、常念小屋を出て、大天井岳から燕岳を歩いている最中です。

ああ、素敵……目の前は、白砂と灌木の稜線、青空、青と白、碧の色彩だけ。

美しい色しかないです。風化した花崗岩の奇石が、繊細で巨大なオブジェ……


と、言いたいのですが、コレ、予約投稿。

計画の通りなら、これを生で見ているはずなんだけどなー

10月になったら職場が忙しいという理由で、今回は上司に遭難禁止令が出されているので、遭難はやめておこうと思っていますが……世の中何が起きるか分かりませんからねえ。


山の上で出会いがあったら……金持ちでハンサムで性格良くて心の闇が同じで、趣味も似たり寄ったりという素敵な人と恋に落ちたら……一緒に来てくれと言われたら……。


メアド交換する。


どんな理由であれ、休み明けは出勤しないと、後が怖いのよ。

読書『ドリアン・グレイの肖像・終』

だらだらと読んでいました『ドリアン・グレイの肖像』ついに読み終わる。

最初は、画家とそのモデルである自分の美貌に自覚無い少年と、退廃的で毒舌、でも悪の魅力にあふれた貴族の青年織りなす、男三人組の桃色暗黒三角関係と、ダークネス・マイ・フェア・ボーイのお話……のところでしたが、美貌のドリアン・グレイが芝居小屋の女優の美少女に恋をし、その恋が、悲劇的結末に終わったところで、話は急転直下。


美少女は、ドリアンに現実の恋をしたのがきっかけで、芝居の中の虚構が薄っぺらく思われて、演じることが出来なくなるんですね。

そのせいで、ドリアンやその友人たちの前で、舞台で無様な演技をしてしまう。

ですが、女優の彼女を愛し『美が至上』のドリアンにとっては、それが許せない事でして。

そして、ドリアンの愛を失った美少女は自殺する。

 

ここからが、ドリアン転落人生の始まり。

悪魔のヘンリー卿の、甘ったるい慰めの毒によって、美少女への謝罪の言葉を、薄っぺらで装飾過多な現実逃避の言葉とすり替えます。

『彼女は彼の愛のために死んだのだ、そして彼にとって愛は常に神聖なものになった』


そこからが、一種の恐怖小説になるのです『ドリアン・グレイの肖像』

画家のバジルが、自分の最高傑作だとドリアンに贈った、タイトル通りの彼の自画像。

この自画像が、美少女自殺のあたりから徐々に醜く変貌していく……まるで彼の魂の汚れを、絵が引き受けていくかのように。

自堕落と罪を重ねて年を重ねるドリアン。


美少女が死んで18年後。

はずみで旧知の画家を殺し、その隠ぺいに友人を巻き込み、その友人は自責で自殺。

そんな彼は、いつまで経っても年をとらない美しい青年のまま。

しかし、描かれているのは静止した時であるはずの肖像画が、ドリアンの代わりに醜く変貌していく。


そして、ラスト。

まあ、お約束ですね。ドリアンは自分の罪の象徴である自画像を、葬ろうとしまして……あらら。


醜く変化する自画像の描写、それを見せつけられるドリアンの苦悩と恐怖、その上に重ねる装飾過多で退廃的な自己弁護の言葉が、実に芸術的。


美少女を自殺に追い込んだことを責める画家のバジル。

対するドリアンの言い分。

『起ったことは起こったことだ。過去は過去なんだ』

昨日を過去と言うのか? 反省は? 謝罪は? と詰め寄られて、言い捨てるドリアン。

『実際にどれだけの時間が経ったなんか、関係ない。一つの感情を拭い去るのに一年もかかるのは浅はかな人間だけど。自分を熟知している人間は、喜びを創造するのと同じくらいに簡単に悲しみを終わらせることが出来るんだ。僕は感情の言いなりになりたくない、感情を利用し、楽しみ、支配したいんだ』


いいねえ、会社で使ってみたいなあ、この己の失敗の長い長い言い訳。

……で、どんな失敗の時に?

殺されるぞ。