陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
駄文更新・書くリハビリ

読む、観る、買うの三拍子の自堕落な日々を送り、それ以外にする事と言えば仕事へ行って家事をするだけ。

ふと不安になる。自転車の乗り方は体が覚えているというけれど、小説の書き方はどんなものか。

究極、日本語さえ書ければいいのですが、話の組み立て方や展開の仕方や表現の方法などありますし。

そして一番、これが切っても切れない恐怖の約束『読者目線』

そろそろ書かないと……と、手がざわざわしておりまして。

そろそろリハビリしないと。


じゃあ、何を書くの? と聞かれたら、これもまだ、今浮かんでいる話の骨格が固まっていない。

しかも、ホラーじゃない。

スイマセン、『何を書きたくて塾に入った?』と最初に聞かれたとき、ホラーを書きたいと言っていたのは事実ですが、浮かぶ話がホラーじゃないということも多々ありまして。

かといって『ホラーじゃないから書かない』というのも何だか違うし、それに頭から『吐き出して』すっきりさせたいんですよ。


まあいいか。

骨格が出来たら書いちゃえ。

「ホラーを書きたい」から入ったというより、そもそも「書くのが好き」で入ったんだし。

初心忘れるべからず。

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月謝の問題

塾の欠席者多発週間の中、行われた飲み会にて先生の呟き。

「月謝のシステムがアカンな」


作劇塾の月謝はひと月一万円、月の初めに徴求です。

どうやらそれが『欠席』を生む要因の一つと思われているらしい。


「大体の教室はな、半年分とか前払いや。そうすると先に金を払った分、休むのは損やという気になって、真面目にやって来るやろ」

ひと月毎に一回一回支払うシステムにしたのは、社会人が来やすいようにという配慮もあったとか。

職業柄、忙しくて来られない月とかありますからね。

しかし、そのシステムがかえって気の緩みを引き出しているのかという説です。

焦るワタシ。月謝システムを変えられてはイカン。

私は反対です。


私の周囲で勃発している悲劇を見ると、前払いだからと言って必ず真面目に通うとは限らない。

『エステの悲劇』『スポーツクラブの怠惰』

会費や施術代、高い金を前払いしたからと言って、必ずしもモチベーションが持続できるわけじゃない。

疲れて億劫だの、トレーナーと合わないだの、食事管理がうるさい、エステシャンが体重管理に細かすぎだの、だんだん足が遠のくのです。

ああ、少しパターンを変えれば『英会話教材の末路』がありますね。

高いらしいですね。それを押入れに死蔵させている証言者によりますと、20万したそうです。

ちなみに証言者は、洋画を観る時は日本語吹き替えだそうです。


そして、ひと月毎の月謝システムは入りやすいんですよ。

半年分前払い、6万円となると、社会人にとっても大金です。金額的なトータルは同じでもハードルが高くなるのではないかと。


ラジオ体操の出席のように、出席のポイント制スタンプを提案。一杯になったら何かいいことがあるのはどうでしょうかと。しかし不純な気もするなあ。

やっぱり体力作りですよ。

体育の授業なんてどうでしょうかね。

クセになる暗さ

『ベン・ハー上映会』によって塾の課題も先に伸び、今年最初の『合評』は何と二月から。

したがって、最近ほとんど小説を書いていない珍しい事態。

完全趣味小説も行き詰ったことだし、読む観るに専念するかと、いつもならあまり手に取らないジャンルに手を伸ばし、車谷長吉の真っ暗私小説だの、ロバート・デニーロの『タクシードライバー』だのに触れてみたのですが。


あああ、暗い。


しかし、暗さにもクセになるものと、そうでないものがありまして。


「まだ観たことが無いだと!!! それでもキサマ、モノカキ志望か」と先生の声を裏返らせてしまいました。有名過ぎて今更何もいえない作品『タクシードライバー』

音楽もどこかで聞いたことがありますねぇ。

ベトナム戦争帰りの青年が、不眠症によってタクシードライバーとなり、車でニューヨークの街を走り、女性と出会い、恋をして失恋。そして12歳の娼婦と出会うことで、徐々に狂い、そして再生する話ですが、陰鬱というより空虚。主人公は「何もない」というエネルギーを持て余している感じ。

猥雑で澱んだニューヨークの街並みと、空虚な主人公の対比がとっても素敵。

いいねえ、失恋して徐々に狂っていくロバート・デニーロ。

彼女と仲直りしようと送り、つき返された花々のミイラが部屋を埋めている。

端々に見受けられる、主人公の歪みと閉塞感。


デニーロが殺戮した売春宿の男たちの血糊を、死骸を、這って舐めるように映し出すカメラ。

この映像のエグさだけで、ご飯三杯はいける。


さて、車谷長吉。


自尊心、虚栄心、劣等感が渦巻く人間の陰鬱絵巻。

読んでいて、救済も光も無いです。ただ淡々と、この作家と夜の道を歩いている気分になる。

後味が良いとはとても言えませんが、不思議に中毒性があるのは、どこか透明感があるからか。


単に悲惨、エグイ、後味悪いのではない極上の『暗さ』は、どろりとした生ぬるい沼の中に浸かっているような、一種の心地よさがある。


当分この「真っ暗気分」に浸っていたかったのですが、次は合評だ。

黒く染まっている場合じゃない。

駄文更新・健康って……

この冬、結構体調を崩してお休みの塾生が多く、先生オカンムリ。

「ここしばらく、塾生が全員出席したことが無い!」

社会人が多いので、本業が忙しくて授業欠席はそりゃそうだろ、仕方が無い。

でも、体調を崩すのはイカン、プロは風邪一つが信用失墜につながるんだぞ、プロを目指すなら体調管理は大事だろうと先生。


まあね、確かに体調管理は大事よ。

思わず遠い目になるワタシ。

そう、あれは社会人ン年目、某信金支店勤めの頃だった。


当時、ネット振込だのコンビニ振込だのがほとんどなかった時代、来店客が支店の窓口に殺到する姿は、生身の人間に群がるゾンビのごとくだった……あ、成程、だからカウンターで仕切りを作っているのね。

ゴウトウビというのをご存知でしょうか? 5と10がつく日のことです。法人も個人も、この日は振込だの給料だの引き出しだの定期預金だのと忙しく、そして月末は更に忙しく、休むことなど出来なかった……親の葬式以外は。

もしも「風邪引いた」「体調がすぐれない」といって休もうものなら、仲間たちから大丈夫かと心配してもらえるどころか「こんなくそ忙しい時に休みやがって」と大変な不興を被るという日々。

多忙と人手不足によって、人心荒み切った職場で働いていた私は「うっかり寝込めやしない」という恐怖感と「生活のために仕事行かねば」という強迫観念に追い詰められることによって、健康という絶壁にダイブする羽目になったのです。


今にして思えば、あの日々が基礎になっている。


それに、フリーでも組織でも、健康が信用につながるのは同じでしてね。

休まない、という信用は尊いです。

アイツ頑丈、という言葉は誉め言葉。


それに、人間とは弱いもので、頭や歯が痛くても何も出来なくなるし。


健康って良いね。

捻挫した足が、ようやくほぼ元通りになった今の感慨です。




読み物の嗜好

書いている時、本を読むことを全く怠っていたので、インプットがおろそかになって、文章の書き方というアウトプットが出来ない……という愚行を過去に犯してしまいまして。


まあ、そう言うわけで読みながら書くという、フツーの生活を送っています。

そして久しぶりに小池真理子さんの本を手に取ったのですが。


久しぶりやな、この人の作品を好きになったのは、確か直木賞受賞の『恋』を取る少し前よ。

当時はこの人の書くものは恋愛小説よりも、サスペンスの方が好きだったの。

白状しますとね、今現在の課題小説は『パンデミックお笑い人喰い小説』ですが、この方の作品である、ペストが日本に上陸するサスペンスもすこーーーーーし閃きの中にあったんですよ。


小松左京先生『復活の日』ではないのです、すみません、小松左京先生大好き塾生一同様。


ホラーでもサスペンスでも、この人の作品は大概面白いのです。

モダンホラーの名作と呼ばれるのは『墓地を見下ろす家』

墓場に囲まれているものの、格安でお得感漂うマンションを購入した一家。

その一家を襲う『得体のしれない空気』『化け物』

内部に不穏なものを抱え込んでいるのですが……このマンションに巣くう、何が家族を脅かすのか。

足元に忍び寄る不吉さです。怪談ちっくな話ですね。

ただ、冒頭この家族が飼っていた小鳥が死ぬ場面があるのが、私は再読しない理由。









最近の読書傾向

完全趣味小説を一旦休み、読みふけっている日々。


最近、車谷長吉を読んでいます。

私小説ですね、作者自身を主人公として、その体験や心情をつづる小説。

昔なら『主人公のトラウマだの劣等感だの失恋だの、人生の陰気臭い心情の垂れ流しを読んで、何が面白い』と思っていたものですが、最近ちょっと変わって来た。


ストーリーを追う面白さがエンターテイメントなら、私小説は他人の頭の中を覗き込んでいる面白さ。

心の中に浮かぶ、言語化できない感情を作者は文章化し、その形になった主人公の脳みその動きを、読者は観察して楽しみ、時にはどんよりとなる。


食べ物の好みは年と共に変わるというけど、読書傾向も同じねえと感心しつつ読んでいるんですが、さて問題は。


課題小説の内容に影響したらどうしよう。

何しろ主人公は悩める自治会長サラリーマンで、住んでいる場所が現在ナイト・オブ・ザ・リビングデッドのアウトブレイクだもんなあ。


そんなことに直面している脳みその中を、陰々滅滅と書いたら、さぞかし面白いだろうなあ。


次、やってみるか












300物語

はい、参加しました三百物語。


今回の演目は、トップクラスのリクエスト数だった『八甲田山』

新耳袋の第4夜です。

読者だった時代の私にとっても、この話は非常に頭の中に染み込んでいる話でして、その歴史的背景を後日に知った後、その『八甲田山』の話の重みを知り、更にその後に山登りを趣味とした後に、この訓練の凄惨さを体感した次第です。

そして、この演目がついに『トリイホール』にて語られた次第ですけど。

その内容をアップという事だったんですが。


……さて、前もって申し上げますと、私が所持するパソコンは一台きりです。

しかも、サーフェスプロ4という『無駄に高価』『やり過ぎハイスペック』『見せびらかし専用』という、非常に価値の高い代物です。

このパソコンを壊すという危険を冒す訳にはいきません。

それにさ、イベント中、会場は暖房じゃなくて冷風が吹いていたのよ。

考えたくないけど、関連性を疑うぞ。


この物語は、機器での記録では残せないのです。

それでもDVDを出そうとされているらしいです。


DVDが無事に発売され、その内容をご覧になれば、私が何故ここでイベントの内容をアップしないのか、ここまでパソコンを守ろうとするのかが分かって頂けると思います。


DVD発売? のCMも兼ねてのブログでした。

駄文更新
只今、山を封印中の身として行くべきだろうな八甲田山、というわけで三百物語イベント参加中です。あらゆる因縁? 盛り込んで語られる怪の怖さと物悲しさ。

やっぱり山は怖い。

……でも登りたい。
しくしく。 
レポートは明日です。

駄文更新・結構ヤバい

脳みそが書くのを否定している? 完全趣味小説を削除する。


課題用と投稿用、この二つしか書くのがなくなったわけですが、しかし完全趣味は上記二つが頭に思い浮かばないときの、一種の逃げ場所みたいなものだったんですが。


それをねえ、無くして良かったんだかどうなんだか。


じゃあ、今はインプットに励もうか。

そういうわけで、ひたすら読んでます……漫画。


ところで、かわぐちかいじ大先生の『沈黙の艦隊』は酒を読みながら読めませんね。


正座して読んでいます。

ちょっとした怖さ

古書街にいた時の事。

その日、ある店の前にある商品棚の前に立っていました。

目当ては100円均一コーナー、たまに良いのがあるんですよ。


大体のお客さんと本棚の位置というのは、少し離れています。

本棚に手を伸ばして、表紙に触れるか触れないかくらい。それくらいだと、他の人の邪魔になることなく、本棚を見る視界も広い。

ところが、この日、隣にかなり気になる女性がいまして。

年齢は約50代、痩せ型。本棚と体の位置が、非常、いや異常に近い。

まるで壁の穴を覗き込むがごとくです。鼻が背表紙にくっつくかと思うほど。

しかも、その両手も他の本の背表紙にべったりと押しつけて、本のタイトルを見回している。

彼女の頭が邪魔になって、棚の本が見えない。と、いうか手のひらをベタベタと本に押しつけながら、背表紙の臭いを嗅ぐように、本を物色するその姿は、かなりイヤだ。

棚は店の外にあるので、店員さんの注意も女性には届かないのです。仕方が無いので声かける私。

「あの……すいません、ちょっとそこ見せて下さい」

無表情に顔を一度本棚から離して、でも再び接近。


こういう時、相手を観察する時はいつも『髪の毛』『バッグ』『靴』を中心に見るのですけど、共通項ってありますねぇ。

一言で言えば、小物や細部がキレイじゃない。


服そのものは普通でも、髪の毛はバサバサだったり、バッグや靴は擦り切れていたり埃っぽかったりとか、安物か高級以前に、手入れをしていないのが大方の共通点。

この女性もそのパターンに漏れない。


刃物を振り回すとか、そういうのとは違うけれど、頭の中の画素がわずかに荒いような、気持ち悪いものを滲ませる人と遭遇すると、結構怖い。

おや、これも怪談の怖さに似ているなあ。


ところで先日、街を歩いていたら若い男が道でギター鳴らして『きみのえがおがみたい~』などと声を張り上げている。

……おい、それは歌のつもりか?

歌ではなく、妙な節をつけた朗読が、下手なギターと混然一体となって、メロディではなくて狂った音響となっている。

小説に読者目線というものがあるのなら、音楽には聴衆音感というものがあろうに、キミにはそれが無いのか? 無視しての事か?


怖い人は観察対象になるけれど、これは音がイヤで近寄りたくないし、観察していたら聴衆と誤解されそうなので、それは避けたい。

誰か取り締まりを求む。