読みたい本が溜まる。
観ときたい映画に観なくてはならん映画に参考になりそうな作品と、趣味と義務と勉強のボーダーライン曖昧作品てんこ盛りでして。
映画だけではなく、漫画も忘れちゃいけないよ、と囁く悪魔まで出現。
ああ、猛スケジュールだわ。
せめて一部だけでも、職場で消化は出来んものか
先日、職場の福利厚生という話題が出まして。
インフルエンザの予防接種助成とか、昼ごはん代の援助だの、社員食堂のメニューとか色々と話をしているなかで、上記の事を思い出した私。
「社内の喫茶室を漫画喫茶にして欲しいですね」
コーヒーやミックスジュース、1杯130円という素晴らしい場所です。
あそこに漫画や雑誌があれば、きっといい気分転換ですよと提案。
『こち亀』『ゴルゴ13』『闇金ウシジマくん』ああ、商売柄『ミナミの帝王』は必須設置ですね。
『ガラスの仮面』も入れておきましょう。
あーそうですね『王家の紋章』忘れてはいけませんね。
しかし、この案はすぐさま却下、どころか撃墜される。
「喫茶室から、誰も仕事にも戻らなくなる!」
……あ、そうか。
子供の頃、何に影響されたのか『子供にテレビを見せてはいけない』と超愚かな教育方針をぶったてた我が両親。
おかげさまで、今更『装甲騎兵ボトムズ』を観るという大人になってしまったではないか。
1980年代のリアルロボットアニメの名作です。
いつものように、格調低くあらすじを説明すると、主人公は人間不信と無口とギャク無しの三重苦の青年、キリコ・キューピー。
味方の基地を強襲するという謎の作戦に巻き込まれ、その場所で見てはいけないものを見てしまったがために、軍のお尋ね者となり、彼はあの町この星と逃げ回るのであった……
アーマードトルーパー(AT)と呼ばれる人型ロボット兵器が出てくるんですが、その扱いが面白いですな。
ロボットアニメあるある・その①主人公の両親いずれかがロボット兵器の開発者。
あるあるその②主人公のロボット兵器は他のメカと比べて、性能が突出している。開発第一号のプロトタイプ多し。
あるあるその③機体のデザインが他の汎用メカと一線を引いている。
ボトムズのATは、消耗品のノリですね。
スクラップ場から、廃棄してあった機体を修理して使っているし、そういえば、キリコがボトムズをあっさりと乗り捨てする話があったな。
今見れば面白いですが、ストーリー自体やけに地味な印象があり、子供時代の周囲はガンダムやマクロスやバイファムや、その後にエヴァンゲリオンの話題で花が咲いていた記憶があります。
しかし大人になった今、キミたちは一体今までどこに潜んでいたのだと驚愕するほど、出てくる出てくるボトムズ好き。
日本のアニメって、大人になった後も語ることが出来るクオリティですなと、改めて感心した一方で……おい、主人公キリコは18才の設定か。
ファーストガンダムにて、ブライト・ノアが19才、ランバ・ラル36才と知った時の衝撃に、再び襲われていた私でした。
塾の後の飲み会にて
『二足のわらじ』が話題となりました。
つまりは兼業ですね。
細かいことは省きますが、時として、それが足かせ……とまでは言いませんが、兼業という安心感のせいで、目標を見失いはしないか?
生活のために報酬を得ることと、夢を追う事の優先順位が入れ替わりはしないか?
目先の収入のために、結果的に夢を捨てた人もいるらしいので、先生にとっては、塾生(私)のそれが不安である……というお話でした。多分。
なるほど、仰ることも、懸念もごもっともです。
ただなあ、と思う。
二足のわらじって、時には挫折感からの救いにもなっているんですよ。
少なくとも、私にとってはですが。
好きでしている創作とはいっても、楽しいばかりではないのはご存知の通り。
上手く書けないとか、他の人と比べてしまうとか、落選とか、色々ありますよ。
しかし、勤めに出てみれば、社会というのは私の事情や心境なんて構うわけもなく、無慈悲で冷淡、無関係に動いているのを目の当たりにします。
無慈悲な世間にもまれていると、自分の落ち込みなど、ワンオブゼムの更に一角どころか、砂粒に過ぎないと思い知らされる。私の落選も何も、周囲にとってはどうでも良いことです。
この無関心さに、救いを見出してしまう。
どうでもいいから、働けよと。
落ち込んでいる時に慰められるのではなく、むしろ乱暴に扱われることで救われるってありますな。
正にそれです。
もしかしたら、仕事しているからめげずに書けるのかな、と思う時もある。
じゃあ、何で手のひら怪談落ちたの?
ホラー小説がお笑いになったんだ? 下手くそなんだ?
と聞かれたのですが……「才能の問題ですよ」
そうとしか言い切れませんね。
塾の講義の中で、ちょっとした論議になる。
作品中のハッピーエンドとバッドエンドどちらがよろしいか。
映画史上、代表的ラブストーリーを上げる塾長
「ラブストーリーは最後(別れ)が物語に余韻を残すわな。あの二人が結ばれるのがハッピーエンドというのなら、えらく薄っぺらい話になるで」
カサブランカとか、第3の男とかね。
その後、ホラー映画のラストだの、アクション映画も最後はバッドエンドが多く、ブルース・リーの映画もその中に入るぞ、ところで何でキミのような20代が、40年以上前に活躍したブルース・リー知っていて、大好きなの? という話になるのですが。
ですけどねえ、勧善懲悪と喜劇はハッピーエンドで終わって欲しいんですよ。
悪が滅んで、正義が勝つというのは我々庶民の幻想であり、理想ですよ。
所詮は、人の脳内で作った話だもん。都合よく終わって欲しいよ……だったけど、皆さん、色々と意見はあるのね。
「納得できるラストというのは、バッドも何も無いです。その後の思わせる終わり方というのがあって、この話の後に彼らはどんな人生が続くのか……と想像させるものがあるんですから」
「シャイニングにしたって、母親と息子は無事に逃げていますが、あの呪われたホテルはそのままですから、解決したわけでもなく、次の惨劇の予感も思わせますし……」
……話の結末のあり方に、色々と皆思うことあるのね。
まあ、私にとって感情移入したキャラクターが無事に災難から逃げ切れたかどうかが、ハッピーエンドか否かの判断基準です。じつに単純です。
そして、その日に話に出たアニメ『バジリスク』原作・山田風太郎の甲賀忍法帖を、ちょいとネットで1、2話を視聴してから、面白かったんで小説を買って読む。
……忍者・甲賀と伊賀版のロミオとジュリエットなんですが……悲恋じゃないかよ。
徳川の後継者選びのために、戦うことになった伊賀と甲賀、忍者二大政党。
実は過去、この二つの流派の筆頭は過去の恋人同士であり、運命の残酷さから結ばれることは出来なかったが、時が流れて彼らの孫同士が恋仲となり、祝言あげることによって、祖父母たちが願っていた伊賀と甲賀との和睦が訪れようとしていたのに……世代を超えて、再び恋人たちは、徳川の後継者選びのために殺し合いのトーナメントに投げ出される。
酒飲みながら読んでいたんですが、おかげで悪酔いしたぞ。
朧どの……しくしく。
名作ですけどね。
幸いなるかな、脳内で造り上げた神の祭壇を作る前に、何とか課題作を書くことが出来た。
あー良かった。
毎回のことながら、ギリギリの崖っぷちに追い詰められて、カンダタの救助に使われたクモの糸が目の前に垂れ下がり、そのおかげで何とか課題を提出しているわけです。
毎回ですよ。
これはもう無理……課題を落とす……いや、負けるんじゃない、自分を信じるんだ!!!とか独り奮闘、そして窮地脱出です。
そのギリギリの中で見えた展開とネタ……いえ、光明がどんな救いとなるか、それが見えた瞬間の多幸感は、なかなか味わえるもんでもないと思いますわ。
あ、恋愛は別ね。あれは崖っぷち感ではなく、自家製脳内麻薬栽培ですけどね。
追い込まれた状況を切り抜けたあの爽快感、そして次へと続くサスペンス。
それが二週間に一度は味わえるのです!!!
クセになりますよ。
……まあそういうわけで、無事に課題が提出出来そうなので、塾の勧誘もしてみました。
まあ、そういうことです。
毎回毎回、課題提出の週は頭を抱えてゴロゴロ転がり、展開やネタに悩む。
ジンクスに頼って神頼み、もういっそカキモノの神を祀る祭壇でも作ろうかと思い詰める。
……そこで、はたと気が付いた。
塾の教室でもあり、塾長の住処であるマンション。
机の引き出しの中には、読者の方やそのほかの人たちから贈られた(?)心霊写真が詰まっているという。
そのご自宅ですが、使っていないガスに反応して警報機が鳴り響き、下のロビーをすり抜けて、玄関口のチャイムを押す謎の訪問者。
塾長のマンションがそうなのです。
塾生の私が自宅で祭壇を作り、変な何かを召喚したら目も当てられない。
思いとどまりました。
人間、思い詰めるとロクなことを考えないけれど、私の場合は二週間に一度、それが訪れる。
今回は踏みとどまったけれど、次回も踏みとどまる自信がない。
やれやれ
白状しましょう。課題小説がスラスラ進んだことはありません。
自分で選んだテーマ、自由課題のはずだけど、己の脳内妄想だから、設定も世界観も全て思い通りのはずなのに、合評で『ススメ』と言われた時に襲われる、あの焦燥感と追い詰められ感は、何ででしょうな。
朝の10時、ここに入ればネタが浮かぶというジンクスを、自分で勝手に作った会社のトイレに立てこもり、以前、ここを歩いてアイディアが閃いたという経緯を持つ道を往復し、想像力を高めるというパワーストーンを、穴が開くほどじっと見つめる。
……と、いう儀式を毎日繰り返して、ついに水曜日。
まだ浮かばない。
明日までには書き上げないとタイムアップ。
果たして、今回もジンクスで救ってもらえるんでしょうか……
大阪てのひら怪談、佳作受賞、中野さん!!!
前回に続き、二連覇ですよ。目出度いですよ。
中野さんについて、嬉しい講評を聞いてまいりました。
『文章が綺麗でけれんみが無い』『すぅっと読める文章』
その通りです。私は中野さんが入塾した時からの作品、読んで知ってますもん。
文章が川の流れのような綺麗な文体で、クセが無い。
描写が鮮明なんですわ。
分かりやすく、的確な情景が彼女の特徴です。そりゃ二連覇もするわな。
そして、光あれば闇アリって事で。
はい、今回も私は落選よ。
落選した事だし、心に暗闇を抱えた荒んだ日々を送ってやろうと、意気込んで出社し、今度こそ世間の同情をかって、飴玉1つでも貰おうと思っていたんですけどね。
主任:只今本部との仕事の調整で激務。しかも、仕事の舵を取るはずの本部の人間があてにならず、私以上に荒んでいる真っ最中
人格者の課長、その他もろもろの皆さん:部の最高責任者がインフルエンザに倒れる。得意先との商談予定やそのほかもろもろのスケジュール調整に駆け回って大忙し。
仕事をしていると、そんなもんよねと思います。
何があり、例え落ち込もうと、心に魔を住まわせようと、組織や世間というのは絶えず動き回り、私の事情なんか蚊帳の外。
ワタシの心情がどうであろうと、世間にとっては無関心どころか無も同然。個人個人の人生なんて、世の流れにとっては、水面の葉のごとく呑み込まれてしまうものよね、と受け取るか。
どうせ葉っぱみたいなもんだと小さく考えるか。
アンニュイに空を見上げて思い出す。
今週、課題の提出週だった。
結局、落ち込んでいるヒマは無いのよね。
前回の続き。
塾長に対して、塾生は従順か? という事ですが。
塾長は会社の管理職ではありませんし、教祖じゃない。塾生は部下でもないし、信者ではない。
ですので、異なる価値観や考えに、何の疑問も抱かずに従順に従うことは、まずない。
現在の塾生は、社会人です。
社会の一員として日々を過ごしてきた中で、身につけて来た考え方であるとか、価値観を持っています。
その考え方が、必ずしも塾長と全て同じとは限りません。
納得できることもあるし、そうではないこともある。
塾長の言葉に疑問を抱き、その意味を問う事は勿論ある。
当然、議論に発展することもあります。
しかし、ここまあくまで『師と弟子』という信頼関係の上でなされる問答です。たまにブログに紹介されてはいます。ブロクの内容は忠実ではありますが、その時の空気感は、実際にいた当事者たちにしか分からないものだってあります。
そうやって、塾生は自分の中で考えを咀嚼して飲み込み、塾長の言葉に納得するのです。
塾長に従う事は一見同じように見えても、単なる従順というわけではない。
塾生が塾長に対して、従順ではない事を快く思われない方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそれを悪い事とは思ってはいません。
他者の考えや価値観に対して何の疑問を持たず、自分の事も言われればすぐに捨てられる程度のモノしか持っていない人間が、何かを表現できるとは思えないからです。
そういうわけで『私は従順ではない』という事を暴露したのですが。
……次回の提出課題、受け取ってもらえなかったらどうしよう。
さて、前回の続きです。
私にとって、ブログ更新は目的だけになってやしないか? ですが。
ブログ更新は目的じゃなくてツールであり、自分に対しての試金石です。
ブログというのは、現在作家志望としての自分を売り込むツールにもなる、というのが作劇塾での教えです。しかも可能であれば、毎日更新。
だけど、修行中の道や頭の中さらけだすのも、ネタが尽きることがあります。
かといっても、私は普通の会社員。
これがジェームズ・ボンドであれば、非日常が日常で、コンビニの買い物一つも国家機密に絡みそうな彼。
彼がブログを始めるならば、英国諜報部の日常垂れ流しでも極上のネタでしょうが(そうなれば、ボンドの上司Mが即刻ブログを閉鎖させるだろう)私の日常は劇的日々を送っているわけでもない。
それでも、毎日更新となると、日常ネタを出さざるを得ない。
面白くもない日常書いて更新するのか? それは更新が目的になってやしないか?
内容の無い一般人の生活垂れ流しの中に、自分の更新も同じようになるくらいなら、最初から更新しない、というものもあるでしょうが。
だけど、ブログを始めた以上、それは一種のふて寝だなと思う。
特に私の場合はモノカキ志望ですから、日常生活垂れ流し内容で更新する事すらできないのは、修行中の身としてどうよ? と。
私の場合は、特に塾生として、作劇塾のリンクに貼って頂いています。
そうなると、礼儀としても最低限の更新は礼儀でもある。
『私は1日8時間労働の普通の会社員で、主婦でもあります。作家志望ではありませんが、宗教や世間、読書などで考えていることをブログに書いて、1日2回は更新しています。アナタはモノカキ志望でありながら、何で1日1回なんですか? しかもその程度の日常ネタ垂れ流しなら、私4回は更新できますよ?』
こんな人に、垂れ流しを諫められたら、納得。
己に関して言えば、才能がない自分自身、つまらん日常を垂れ流してでも更新しなくては、モノカキ志望として失格であると思っています。
毎日のブログ更新はそういう意味で試金石なのです。
さて、次は『従順か否か』について