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陶磁器と文鳥
日々の雑文、カキモノをしている悩みなど
女の話題

女性の年齢層は平均約40代の我が職場。

おかげさまで、マダムたちの話題は「健康」「金銭」「お洒落」です。

恋愛がないのが流石です。ちなみに皆様によりますと「恋より金」だそうです。

人妻の8割は浮気願望があると、オヤジ向け週刊誌に書かれてありましたが、こりゃウソだな。

で、最近ホットな話題は「ボケ防止」でして。

物忘れ、人の顔が覚えられない、さっきまで何をやりかけていたのか忘れてしまう……と、結構皆さん共通の症状です。


「脳トレのパズルでもしようかな」

「絵でも描いたらどうです。視覚情報を平面に写し取り、なおかつ手を動かすというのは効き目ありそうです」

「手芸も良いけど、家の中が布切れと糸くずで散らかるのよね」

「ていうか、下手したら『おかんアート』じゃないの」


女同士でこういう他愛もない話をしていると、高校生時代の休み時間のお喋りを思い出しまして。

あの弾けるような、スキップしているような感覚で、ぽんぽん跳ね飛ぶ会話のラリーで、話題は恋バナが7割、後の3割はアニメだの漫画の話題。

つうか、昔は女の子同士の競争心というか、向上心というか、相手に負けたくないという、無意識下でのプレッシャーというものがあったものですが。


今は、そういうものではなく「同士感」のローギアな話題。

背伸びも夢見がちもなく、正に現実と生活。

良いですねえ、こういうの。

何ですね、女同士は必ずマウンティングがあるような事を書いてある記事を読んだことあるんですけど……つくづく、記事って当てにならない。


コラボと九谷

百貨店の催事に出掛ける。

催事場では金沢の物産、特産店があって、同時に九谷焼の現代作家の展示などもあり。

その細かな細工、緻密な絵付けに「この作家さん、老眼になったら創作活動はどうするんだろう」と勝手に悩みながら眺める。

それにしても、展示即売会でもあったんですが、この世の中結構お金持ちっているのね。

十万単位の壺や絵皿、陶板画に『売約済み』のシールがぺたぺた。


こういう美術品鑑定の時、作家名などの知識のない私は「今この瞬間、デパート火災が起きれば、どれを持って逃げるか」と想像しながら見て回る。

意外なことに、1つ68万の大壺よりも、5万円以内の手頃なお値段の、豆皿やおちょこなどを持って逃げるであろう私。


青、黄、緑や赤と、色彩が華やかなのが九谷焼の特徴ですが、最近アニメやキャラクターグッズとコラボしています。

数年前、スヌーピーとコラボをしておりまして、その蕎麦猪口を買った私。

レトロで華やかな色彩と、スヌーピーという取り合わせが妙にマッチング。


そして今回は、ウルトラマンと手塚治虫……そしてゴジラとドラえもん!

豆皿大人気です。


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このブラックジャックの芸の細かさ!

 リボンの騎士、火の鳥もありました。

催事は明日、21日まで。阪急百貨店です。





最終話まであと……

合評。

「ハイ、次の展開へススメ」と言われる。

……ハイ、と私。ずいぶんですねえ、たった数分で私の評は終わりですか。

ようやく話が動き出したんだから、このままの勢いでススメ、というのが先生の論です。

ええ、夏には終わると言いながら、すでに年を越して春に向かってまっしぐらですからねえ。

「このままだと、平成から次の年号をまたいだ作品になってしまうし」

「おお、それはなかなかスゴイ字面です。昭和から平成にかけての長期連載のようではないですか」

しかし、問題は長期連載ではなく、長期提出・まだ書き終えていないということであります。

そして、最終回について思い悩む私。


ええ、長期連載じゃないけど、長期提出ですよ。

長期連載の物語のフィナーレ……それは華麗に決めるべし、美しく事態を収め、誰もがそのオチに納得し、ひいては登場人物たちのその後を着地点を定めるもの。

そのオチの完成度によっては、作品その後の扱いも違います。

愛読者たちの記憶に美しい読後感を刻めれば、彼らの本棚に永久保存。

しかし、着地失敗となると、読者たちの愛読歴史に黒いシミをつけて、古本屋に叩き売られるか。ネットの評価だけじゃない、場合によってはその後の漫画論だのエッセイの、ネタにされる可能性があるんですよ……『いきなり最●回』とか、トラウマ漫画とかね。


ああ、別に課題ですからね。

世に出た作品じゃないです。でも、その着地が華麗、無様、どちらかによっては、後々塾生の飲み会のやり玉に挙げられる可能性もある。

いや、可能性は無いにしろ、私の被害妄想がそう囁いている。


次は提出週。


どうしよう、ぴいちゃんにブリュンヒルデちゃん。

悩んでいる最中です。



駄文更新
合評。

さて、本日合格、ススメが出なければまた足踏み。
塾リニューアルまでには作品を完成させてしまいたい。
どうなる事やら
色々考える

1つの大きな挫折とか喪失が、自分の日々を、今後の事を考え直す機会になる事が多い。

転機というものです。

今回、初めてといっていいほどの喪失感が引き金になって、色々と考えています。

今年4月に、作劇塾がリニューアル。

それに伴い、一時的な退塾となる訳ですが。


モノを書くのは好きというより、今ではもう当たり前。

今の職場にいるのは「書くため」の条件が揃っているからだと言っても過言じゃない。

じゃあ、他に必要なものは何だ? 

必要があれば、無駄もあるわな。無駄どころか、排除すべきものもあるし。

己を眺めながら、冷静に考えて見るか。


「どんなもんだろうねえ、ぴいちゃんにブリュンヒルデちゃん」

なんて、写真と彼女に語りかけているわけですが、この絵面は第三者的に見たら結構キテいる。




父と文鳥

以前なら、帰宅して「ただいま」と声をかけたら、暗い部屋の向こうから「ぴぃ」と返事が返って来ていた。

おやすみ、と言いながら、カゴにカバーをかけて暗くしてやるのが日課だった。

朝はぴいぴいと鳴き声で起こされて、肩や手の上にぴいちゃんを乗せながら、水やエサの準備や小屋の掃除、出勤前に新聞読みながら横で遊ばせていた。

チラシが好きで、端を噛んで引きずったり、紙の隙間に入って遊んでいた。


実父も生前、文鳥が好きで白文鳥を飼っていたのだが、過失で死なせてしまった事がある。

すぐに次の雛を連れてきた父に対して、私は「酷すぎやしないか」「無責任すぎる」と怒った。


今なら父の気持ちも分かる。

空の鳥かごは見ていて辛い。自分になついていた文鳥がいなくなった、自分の世話を待っている相手を失って、その寂しさに耐えられなかったのかもと思う。

その時、私たち姉弟三人は、もう成人していたし。


と、ここまできて思い出した。

父はその時、母と弟二人と、同居もしていたんだけど。

父よ、家族がいながら寂しいだなんて、それって……と、何だか家族の闇が一瞬見えてしまった。


……とにかく、当分はこの寂しさに耐えるか。














駄文更新

職場のランチタイム、ぴいちゃんとの別れを口にしたせいで、食事の時間を凍りつかせてしまった。

しかし、周囲も結構ペットとの別れの経験者が多く「親が死ぬより、下手したらこっちの方がつらい」「彼らの方が文句なしに可愛い」「ペットというより、人間ではない家族」と、この部分では共感が多かった……と、いうか、日頃の皆の言動を聞いていると「この部分だけは」という気がしないでもない。


そういえば、仕事の鬼、厳しい会社の部長が、突然一週間の休暇を取った理由が「長い間飼っていた愛犬が死んだせい」で、部下たちの動揺が凄まじかったいう話を、友人から聞いたことがある。


そこに埋めたら、死んだものが蘇る、いわくつきのペットの墓を題材にしたスティーブン・キング原作の「ペット・セメタリー」という映画を思い出す。

愛した者を生き返らせようと、一線を越える悲しい家族の話なんだけど、確かに、近所にそんな墓地があれば、ぴいちゃんを連れて行ってしまうかもしれない。


そういうわけで、しばらく喪失感と孤独に浸っていることにする。

喪失感

今まで、まともな喪失感を感じたことはない。

人との関係に執着はしない、割り切る。

人と離別や、肉親の死別もあったけれど、そういう運命だとか、寿命、それで頭を切り替えてきた。


無人島へ行っても食べ物と本さえあれば、それで生きていけると確信していたほど。


空気の塊が重い。これが喪失感かと感じながら、静かな部屋で空の鳥かごと過ごしている。

喪失と空虚さ、寒々しい感情を教えてくれたのが、人ではなくて、まさか手の平サイズのぴいちゃんとは。

サイズの問題ではないのが、本当に皮肉というか。

これは本当、きつい。



思い出

文鳥だけじゃないかもだけど、鳥というのは思っている以上に頭が良い。

五才くらいになると、格段に頭がよくなる。

学習能力もあるし、感情表現も豊かだし、良い意味でも悪い意味でも、コミュニケーション能力が高い。ペットショップのご主人によると、頭のよい子は、三歳児くらいの知能があるらしい。

ぴいちゃんの場合は旦那と私に対する態度まで使い分けていた。


私の邪魔はする。読書中、ページにくちばしでちょっかいをかけて、本と手の平の間に潜り込む。

パソコンを開いている時は、キーボードの上に乗るか、マウスを持つ手をつついてくる。

しかし、旦那の邪魔はしない。ゲームをしていても、膝の上でじっと相手を見上げ、「遊ぼう光線」を放っていた。

サイズからすれば手の平で、脳みそなんて極小サイズなのに、よくあれだけ知恵があるものと感心していた。


昼寝の時間が長くなってはいたものの、起きて部屋に私がいれば、かごの扉の前で「外で遊びたい」とぴいぴい鳴いていた。けっこう強情に主張する。忙しいのに仕方が無いなと、半分やれやれといった気分で遊ばせる。サイズがサイズなので、勝手に遊んでいたとしても、ぴいちゃんからは目が離せない。

遊んで気が済むと、カゴと私を交互に見る。

最近飛べないので、手の平に乗せてぴいちゃんをカゴまで連れて行く。


ぴいちゃんの鳴き声が消えて、家の中が重いほど静かになった。

「寿命だ」と何度も慰められても、こんな別れ方をするはずじゃなかったという感情はどうしようもない。確かに老齢だった。だからこそ、11年生きた先代文鳥のように、大往生させるつもりだった。


当分、この静寂と付き合わなくちゃいけないのか。

手のひらサイズの喪失感は、ひどくきつい。





虚無

ぴいちゃんを亡くした。


原因は心臓麻痺。

我が家にやって来たのは7年前で、迷子で警察に保護されていたのがぴいちゃん。

ポスターでそれを見て、飼い主が見つからなかったら引き取りたいと、警察署へ申し出たのがきっかけ。

当時すでに成鳥で、年齢は分からなかった。


最近、徐々に脚の力が弱くなり、止まり木に掴まれなくなってきたし、ほとんど飛べなくなった。

飛ぶというより、落下するのに時間がかかる、といった塩梅。

見た目は艶々して、よく遊んでいたけれど、よく転んでもいた。視力も弱っていたふしもある。

もしかしたら私が思っていた以上に老鳥だったのかもしれない。


遊んでいる途中、尻尾の上にモノが落ちた。

胴体にダメージはないけど、ものすごく驚かせた。それで心臓に負担がかかったのか。


家の中にあった体温が無くなるのは、辛いを超えて寒々としている。

寿命だ、と慰められても、手の上で昼寝をしていたぴいちゃんがいない事には変わりなく、ぴーぴーと独特のクセのあるさえずりも聞けない。

喪失感って、虚無なんだなとも思う。

いきなりこうやって、奪われるんだとも。