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陶磁器と文鳥
日々の雑文、カキモノをしている悩みなど
いつも懊悩

ストーリーの展開にさえ詰まらなければ、これほど面白いモノは無いだろうと思うんですけど。

「詰まる」「表現に悩む」「展開に悩む」この三点セットに、いつもぶ厚い壁を感じています。

おお、そうだ! と展開の突破口を開いても、次の日にはまた「どうしようかね」と詰まっていることはもう普通。


悩むのがイヤになった……とは言いません。

もうこんなものである、と諦観の域に達してしまった。

どーせ詰まるんだよ、どーせ展開に困っちゃうのよ、どーせ良い表現なんか、すぐには見つからんのよ。

生きる上で、悩みとは切って切れないものであるなら、書く上でこの三点セットからは逃れられないのよ。

イイよもう……どれだけ悩もうが、とりあえず期日にさえ提出が間に合えば。

と、いいますか、とりあえず、この三点セットに頭を抱えて転がっておかないと、期日ギリギリにアイディアは浮かばない。

もう知らねえ! 捨てた! と叫んだら、もう終わりかも知れない……楽だけど。

まあ、そんな境地に達しました。


最後まで粘るか。

映画でも、諦めの悪い奴が勝つのよ。

……多分。



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駄文更新・地味に落し穴

京都の北野天満宮・25日の天神市再び往訪。


骨董や食べ物の屋台を見ながら歩いていると、異常に人が群がっている漬物の屋台を発見。

店主は男性二人でした。渋い中年と爽やか青年の、なかなか見目よろしい取り合わせでして、店に押し寄せているお客は全てお婆ちゃん。

糠漬けってあんなに飛ぶように売れるものなんだねえ、まあ、あの店の二人ならそうだろうねと眺めていましたが、おやと気が付いた。

お婆ちゃんたちの視線の質がちょっと違う。イケメン二人への熱い眼差しより、漬物を選ぶ視線の方が真剣すぎる。

しかも、かなり安い。キャベツとナスと赤かぶと大根、白菜、キュウリ、それぞれの糠漬けが、少しづつ入ったサービス品、なんと500円。

買って帰って食べた。そして突っ伏す。

……激ウマい。

野菜の甘みと糠の風味、柔らかな塩味、見事な三位一体。私にはど真ん中の味。

もう、私の糠漬け人生はコレで行く!……と言いたいところで気が付く。


このお店、25日の縁日しか出ていないんですよ。

25日が休みとは限らない。今回も平日に有休取って行ったのですが、この有休を取るまでに、どれだけの艱難辛苦ロードを歩くか……周囲への根回し、仲間同士で有休スケジュールの折衝、仕事の前倒しに引継ぎ連絡……その果てにようやく手に入れる、フリーダムな平日。

今後の糠漬け生活のために、そこまで出来るのか?

イヤ、でも美味い。しかもコストパフォーマンス最上級。

せっかく出会えた口福が、懊悩の元になるとは……地味な落し穴です。






好きな型を探る

読書は娯楽とか生活の一部とか、そういう事もあるけれど、モノを書く上で、どんなものを書きたいのか、自分の好みを手探りする作業でもありまして。


ホラーのアンソロジーが好きでして。

アンソロジーは、色々な味わいと風景が詰め込まれている作品の詰合せ。これを読んで、特定の人を愛読するようになり、作品を集め出したきっかけになる事が多し。

特に短編は好きですね。アンソロジーに入っているものは、後味のわるーいモノでもゴーストストーリーでも、選ばれて入っている作品なら、ハズレはほとんどない。


さて、常日頃『物語の最後はハッピーエンド派』である私ですが、長編はそうでも、短編となると「後味の悪い」が好き。

日常にふと訪れた陥穽や、徐々に狂い始めているのに、それに気が付かない日常生活とか、崩壊に導いた最後の一滴とか。

自分を愛玩物のように扱う母に反抗する、11歳の息子、息子の鬱屈に気が付かない鈍感な母親。

この親子関係が、食用に買って来た生きたスッポンによって崩壊する、パトリシア・ハイスミスの『すっぽん』なんか大好き。

ああ、イヤなラストだなあ……そう陰鬱に陥った後で戻ってくる現実が、やたらと輝いて思えます。

長編は、主人公に感情移入していることが多いので、ハッピーエンドが好きなんだけど、そうなると短編のキャラは、心情的に使い捨てか。


闇がくっきりと色濃い、上質な短編を書きたい。

提出した課題作品に「ホラーよりもお笑い向きじゃないの?」そう烙印を押されつつも、そう思う今日この頃。











増殖……本

古本屋さんはヤバい。

一歩中に入れば、そこは本の宇宙。新刊とはまた違う、ひなびた風情と佇まいの書棚。

一度人の手に渡り、ここにやって来た古本には一種独特の気配というものがあるせいか、ここにある本全てが面白そうに思えてしまう不思議。


何百円かそこらで手に入る世界です。パラパラめくってみて、直感が「面白い」と判断したら買っちゃうでしょ。

アガサ・クリスティの短編集が100円よ。ガストン・ルル―恐怖夜話が220円よ。

本って、安くて美味しい娯楽の王様だわと感じ入るのですが。


しかし、読むスピードと買うスピードが追いつかない。

気が付くと、買うだけ買って読んでいない本が何冊あるか。

しかも、私には「再読」というクセがある。そこにまだ読んでいない本があるに関わらず……おかげで、本が増える増える。

図書館で本を借りる。期限があるからこっちが優先。買った本はいつでも読めるでしょ……でも古本屋には入る。新刊も買う。やっぱり増える。

うーむ、本の増殖スピードが止まらん。


しかし、結構仲間がいることが判明。

場所を取るんだと困ってはいるようだけど、それでも本を買って、積みあがる本の山の風景を楽しんでいるようで……よく考えると、それは電子図書じゃ出来ない風景だな。

積読、それは『本は紙派』のみ許された楽しみかもしれない。






リメイク・考

『サスペリア』リメイク版を観に行く。


ダリオ・アルジェントのオリジナルは有名ですね。バレエの寄宿舎学校に入学したら、そこは魔女の巣窟というお話。

ざっくばらんに言えば、リメイク版は、その筋はほぼ同じ。

しかし、素材の料理の仕方が違う。

ステーキとローストビーフの違いといいましょうか。オリジナル版を観て、同じように話をなぞっていると思ったらいけません。

オリジナル版の話は分かりやすいです。でも、リメイク版は赤軍にウーマンリブとか、1970年代のベルリンの社会情勢が濃く打ち出されている。

魔女という存在も、どこか土着的。そしてダンスのシーンも力強い。

ホラーだけど、映像、空気感が乾いてる。民族闘争とか宗教的な背景、よく分からない部分はあるにせよ『妙に好き』なこのリメイク版。

2時間以上の長い作品けど、飽きは来なかった。


ラストも、妙に良心的です。あらま、あの人を見逃してあげるのか……いい娘(?)だねって感じ。


ホラーでグロ描写も、どこか芸術的。

オリジナルのダリオ・アルジェント版とは料理方法は違うけど、「あ、ダリオ・アルジェントの特徴だ」と思わせる映像やカメラワークに、時に笑う。

やっぱり、リメイク版はオリジナルのファンに『あ、これこれ』と思わせてくれないと。


最近のリメイク版は、漫画といい質が良いわね。

最近それが、かなり嬉しい。



宣伝とは

『このキャッチフレーズはもう飽きた』という話になった。

飲食店とかのお店にほとんど……いや、必ずと言って良いほどついてくるキャッチフレーズ、うたい文句。

『こだわりの○○』

大半が飲食店。シェフのこだわりランチ、料理人が材料にこだわって作ったナントカ。

スープにこだわる、ソースにこだわる。

とりあえず、こだわっているらしい。

「金取るなら、材料なり何なりにこだわるのは当たり前でしょうが」

「その当たり前をキャッチフレーズ、他店との差別化に使おうというのがありきたり過ぎてツマラン」

「よく似たものに、手ごねとか手焼きがあります。それで素朴さを表現しようとするのが安直」


言いたい放題の社員食堂。

しかし、とりあえず客を誘いこまなくちゃいけないんだから、安直とかなんとか、考えて選んでいられないでしょうよ。

……いや、待てよ。

「シェフの適当ランチ、なんか逆に食べたくなりませんか?」

「別にこだわらない料理なんか、かえって店に挑戦されている気になるよね。そのケンカ、買った!」

「すごく高性能の機械で焼いたりこねたり。良いねえ、何か料理の出来にアラが無さそうでさ」


先日、どこかのテーマパークの宣伝が話題になっていましたっけ。

客が少ないから並ばなくていいとか、人が少ないからインスタ映えとか、ライバル少ないから目立ち放題、写真撮り放題とか、この宣伝の自虐っぷりがツイートで話題になっていた。

私も、つい「行こうかな」と思ってしまったっけ。


何が人の心を動かすのか、分かりませんねえ。

単に、私の周囲が天邪鬼なんだろうか。








技術と語彙

「どうすれば、上手な文章が書けるか、テクニックの事ばかり聞いてくるねん」

「まずは、最初に『何を書きたいか』テーマがいるやんか。テーマあってこそ、何を書きたいか、それをどう表現するかにつながるわけよ。その表現方法がテクニックにつながるんやろ」

ハイ、塾でそう教わりました。


まず『食材(テーマ)』が決まらんことには、包丁の入れ方とか煮込み方とか焼き方とか、調理方法(技法)が決まらないやんけ! ということなんです。

美味しければ(面白ければ)それでいい、という考え方もありですが、用意した食材によって煮た方が良いか蒸しが良いか、焼きが良いかとか、料理法に調味料も変わってくるしなー。

それに、書いていて思います。

「もっと、美味い表現方法はないのかあああ!」


『泣く』一つにとっても、涙を流すとか嗚咽するとか、はらはらと涙を流すとか、無言で顔を伏せるとか、色々表現方法あるし。

この行間に一番ふさわしく、絵画的かつ文学的かつ、己のオリジナリティを出す表現は! なんて、ついスケベ心を起こしてしまう。

そんな入り組んだ、ややこしい、やたら高尚っぽさを前面に出したら、かえって読みにくいのよこれが。

「完全己の世界、ツンデレ陰謀拷問アクション耽美小説にふさわしい、それでいて、ついうっかり他人に読まれても『耽美的文学作品ですうぅ』と言い逃れできるような文章(拷問シーン)に出来ないものか」


こんな事を、半日かけて考えてしまった。

これは思考のムダなのか、己の創造の世界に浸った、優雅な時なのか。

どっちかなあ。








時間泥棒

長い事放置していた完全趣味小説、ちゃんと仕上げとこうかね……と腰を上げる。

世界人口約40億、だけど、この小説を仕上げることが出来るのは私一人。

第一、こんな己の趣味と恥部と闇を詰め込んだ暗黒袋みたいな代物を、誰かに任せられるもんか。


日曜日の朝、掃除洗濯を終わらせて、午前中少し時間が空いたので書く。

午後は外出予定。別に特段用事は無いけれど、女の子は色々あるんですよ。新刊とか、お店のチェックとか、ショウウインドウのディスプレイとか、新商品とか、道行く人の服装とか、散歩で世間の動きを肌で感じるのです。

こんな呑気なお出かけは週に一度。この機会を逃してはならない。


書く時間は、せいぜい、一時間半くらいのつもりだった。

午後は外出のつもりだった。

着ていくお洋服のコーディネートも考えていた……はずなのに。


気がつけば、午後はすでに回っとる。

今から出たら、目的地に到着は夕刻じゃないの。

もういいや、このまま夜まで書いてやれ、と言いたいけれど、4時間で集中力は使い果たし、次の展開も空っぽ状態。

書くも出るも、両方の気力を使い果たし、ただ時計を見つめる。

次のお散歩の機会は、来週の日曜日。

何だか、知らない間に時間を盗まれたようです。

恐るべし、小説。


これからは、タイマーをつけて書こう。


ヒロイン・考

合評。


言われてしまった。

「主人公は、男より女がええんとちゃうか」

まあ、つまりは「絵になる」かならないか。


結局のところ、魅力的なヒロインが必要ということだよなと思いつつ、ヒロイン像を考える。

割と多い手法は(と、いうか恋愛シュミレーションゲームでおなじみの手法)タイプの違う異性をゴロゴロ出せというモノ。

少女漫画大好きど真ん中世代として、思い出すのが『一番定番品な本命』を中心に据えて、あとは甘えん坊系に気が強いタイプに強引野郎に頼りになるセンパイに草食系にと、各種取り揃えて配置!

あ、主人公に気がある美形、それは皆共通パターンでよろしく。


と、そこまで考えて思い直す。

いかんいかん、そんな雑な思考でヒロインを作ってはイカン。

考えましょう……まずは「フツーの女の子」主人公の同級生なり幼馴染なり、身近にいる子ですね。

大抵は「スタンダート」な女の子です。世話焼きでも何でも、一番、現実味のあるタイプ。

次は、その対極を行く「不思議系」ミステリアス系でもよろしい。主人公を翻弄するタイプ。

そんな不思議ちゃん、似非ならとにかく、現実はおらん! しかしその現実にはいない! というのが、かえって読者の心をそそったりする。


前回スリーサイズオール100というヒロインを作ってしまった私としては、今回は「支持されるキャラ」を作りたい。


つらつら考えています。

しかし、対極ヒロインで思い出すのが「気まぐれオレンジロード」の鮎川まどかというミステリアス美少女と、世話焼きの可愛い下級生、檜山ひかる。

思えば、そんな美少女二人を両手に花の主人公春日くんは、それだけいい男だったのか。

今思えば、疑問だ。







ブランドの力

ブランドの時計200万円をレンタルし、周囲の反応を見た、という記事を読む。

当然というか、そんなもんだなというか、筆者の時計の価値を見て感心してくれたのは、一部の人という。そんなもんです。


えー、だからブランドというモノはだから価値がないだとか、見栄っ張りのアイテムだとか、いう気はないです。

むしろ、それを見栄っ張りのアイテムにする輩に腹が立つ。


ブランド、という名声を確保するために、どれだけの困難と試練、職人の人々の切磋琢磨があったか。

創業者の苦労はもちろん、それに続く名も無き従業員、および職人たちの技や汗や労働力が、その工場の名声を作り上げたのです。エルメスだって、元は馬具の工房。その縫製の方法はいまだに継承されている職人技で、イギリスの陶磁器ウエッジウッドの創始者、ジョサイア・ウエッジウッドも、どれだけの道のりを経て、クィーンズ・ウェア(ウエッジウッドの代表的な作品)を開発したか。

マイセンの初代開発者なんか、友だちは猿一匹、アル中で短命です。

ええ、ブランドの影には涙と悲劇と汗がある。


己の会社を大きくするのが、経営者の望みなら、それはそうでしょうと思いますが。

しかし、その作品(商品)を手にする理由が、単なる見栄っ張り、異性にモテたいとか、そういう理由だとすれば、浅すぎやしないか。

別に、ブランドのウンチク語れとは言いません。

高価な商品、その値段の裏にある背景に、名も無き職人たちに敬意を払え。

そう思うのです。

自己満足、それなら良いです。

自分は、この商品を手に入れるほどにまで稼げるようになった、その自己満足は、商品に対する一種の敬意でもある。

そんな自己満足よりも、たんなる見栄っ張りにムカついただけですが。


ちなみに、そんなこと言っているキミはどう? と聞かれたら。

見栄っ張りにの道具にするどころか

『あんな奴が手に入れることが出来る逸品なんて、あてにならない。もしかしたら、偽物かもしれない』

なんて囁かれています。

すまない、マイセンにウエッジウッドにジノリにリモージュ、コペンハーゲン、大倉陶園、深川製磁にその他もろもろ。

みえで君達を買ったのではない、純粋な陶磁器愛だ。

食器棚のメンバーに、今日もそう言い聞かせています。