陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
酒を飲んだら
出来たらブログを毎日更新しろ。

と、先生は以前仰られていた。
毎日書く事を見つける事、語ることやネタを見つけるのも、クリエイターの修行であると。

そうですね。確かに私もそう思うのです。
書くのが好きだとか言っているんだから、更新しろ。書くことあるだろと。

・・・・・・あのー私、告知することなんかないしね。
悪の妄想だって、そりゃ毎日していますよ? でもさーブログに公開できるものは限られているんですよ。
妄想全て公開したら、このブログは『残酷描写あり、グロデスク表現ばっかりで、色彩は全て血と内臓の色』でR-18指定。

イヤそれ以上か。作劇塾で遠巻きにされるばかりか、通報されるか迫害されるか、分かったもんじゃない。

それでも、色んな話題のパーツをつないで構成し、ブログの内容を書くのが私の方法だったのですけど。

夕食に酒を飲んだら、その構成能力が見事に霧となって消えうせるのです。
焼き鳥屋でチューハイ2杯、ワイン2杯、まあそんなとこか。
飲み過ぎではない。絶対に。

気分も悪くないし、理性はまだ残っているし、判断能力も残っている。それなのに、まっさきにアルコールによってやられるのは、文章の構成能力らしい。

作劇塾飲み会の事、中世の貴族社会や産業革命を裏から支えた、ブラックどころか暗黒の職業の話、宮川香山という作陶家や、電車の車両に弱冷車つくるなら強冷、いや凍結車を作れという訴えが、全く文章化すらできず、構成も出来ない。

中島らも先生は、酒を飲みながら小説を書かれていたらしい。

修業が必要なんでしょうか?
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コメント
コメント
修行は必要か?
なるほどなぁ、いろいろ考えてらっしゃるんだなぁとシミジミ思いました。

「修行」の捉え方はいろいろあると思いますが、例えば最近の若手の漫才師は師匠につかない人がほとんどですよね。

師匠がいなくても、面白い漫才師はいるし、マナーのいい漫才師もいると思います。でも、師匠につくことで、やはり学ぶことはあるでしょうね。

師匠が言う無理難題や矛盾や納得できないことも全部含めて、納得できないことはできないまま、とりあえずは師匠の言う通りにする。

鮨屋の板前さんの修行もそうでしょうね。親方はちょっとやそっとでは教えてはくれません。それどころか、自分だって泣く目に遭って習得した技術をそうやすやすと教えるわけないです。
よく言われることだけど「盗む」しかないですね。なかなか盗ませてくれないけど。

大工の修行は10年はかかります。でも確か神戸には職人さんの学校があります。「俺達が10年かかって覚えた技術を半年で教える」そうです。教師は全員職人さんだった人達です。

ただ技術をマスターするだけなら、確かに半年もあればOKでしょうね。
でも、親方や師匠につくのは技術やノウハウだけじゃなく生き方も知らない間に学んでいるのかもしれないですね。矛盾や納得できないことも含めて。

みなさんのようなクリエイターは、人と会ったり、映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり、酒飲んだり、いろんなことが修行なのかもしれないですね・・・・それを修業と呼ぶならば、それも修行でしょうね。

八百屋さんが毎日市場に行って商品を仕入れる、それに当たるのがクリエイターの人にとっての「修行」なのかなあ・・・仕込みというか、抽斗を増やすというのかな・・・・

僕はブログはやってないけど、フェイスブックにいろいろ書きます。
書く話題に困ったことはないですね。
かといってネタをわざわざ探すこともしません。

黒澤明の映画「夢」でゴッホが出てくる夢がありました。そのゴッホが夢中で画を描きながらこう言います。「何故描かないんだ?画になる風景を探すな。どんな風景だって美しい」

これはなんにでも言えると思います。
先日、中山先生のダークナイトに仲間と行った時、まだ時間があったので「王将」で食事をしました。その時そばのテーブルでお客さんから注文とってる女の子が名札から外国人だとわかりました。

どこの国かわからないけど、言葉からベトナムあたりかなと思いました。
ああ、遠い日本に来てここでアルバイトしながら、日本語勉強しながら生活してるのか、何か目的があるのかな、・・・とか考えたら「あ、いつかこれフェイスブックに書こうとなりました。

書くことなんて、そのへんに転がってると思います。そこに気が付くか、つかないか、気が付いても、それに興味を持つか持たないか、何かを感じるか感じないか、それだけのことだと思います。

書くことを探すんじゃなくて、自分の周囲のことに好奇心があるかどうかなんでしょうね。

2016/07/15(金) 00:49:37 | URL | 中島浩光 #AH9/n9xo [ 編集 ]
Re: 修行は必要か?
ひろみつ様。

コメント返信遅れましてもうしわけありません。

いじめの問題に関しては、確かにこれって根が深い。これを切ったから全て解決、という問題でもないです。

ただ、報いを受けて当然な行為、犯罪であると誰かが教えてやる必要はあると思うのです。幸い、ネット社会ですからね。
「因果応報」の話は、ネットにいくらでも転がっていますし、SNSや情報をいじめに利用されるだけではどうする。

道徳教育にいくらでも使え、です。
ちなみに、因果応報話(リアル含む)で私も「怖!」と叫んだ話はいくつかあります。

どうせ、まだ子供には想像力が希薄なのです。
ですので、命の大切さをとか、そんな高次元ではなく単純に「悪い事したら報いがある」から教えりゃいいよと思っています。

後、いじめを受けたらどうする、という戦い方。

劇作家の鴻上さんの、「逃げろ、そして絶対に死ぬな」というメッセージは同感です。

そして、私が付け加えるならこれですね。
『忘れようなんて無理はするな、それだけのことをした相手が悪い。そして気を晴らすなら、頭を使ってやり方を考えろ』です。

どうせなら強くなって、爪は研いでおきましょう。


・・・・・・修業。
そうですね、修業って、技と生き様を学ぶ事だと気がつきましたので。
専門校と、実際に師に従事して教わるのとは、厚みってもんが違うだろうなと思います。

ただ、ブログの話題は「自分が書きたい事と読者目線は違う」と散々教えられてきたので、ネタに結構選別するんです。

ついでにいえば、酒が入っても崩壊しない思考能力が欲しい。

2016/07/16(土) 21:56:48 | URL | みほ #- [ 編集 ]
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