陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
映像と文章
さて、貴志祐介さんの『黒い家』で、映像化の怖さにしみじみした私。

実をいうと、あれ以来いくら好きな原作であっても、もう映像では見ないことにしているのです。
マンガのアニメ化は相性がいいのですが、小説を映像化というと、どうも怖い。

キャラクターの動きや心の中を、文章によって書きだすのが小説です。
文章の持つ、独特の空気感やリズムで、見えないものを、見えるように描写するのが小説。
ですが映像は見えないものは映せない。

結果、映像は分かりやすけれど、小説独特の空気感が無くなる。
その空気感に代わるものが映像作品にあれば、それは良作なのですが。

その中で、京極夏彦さんの『虚言少年』 
京極さんの作品は、特に空気感が独特なのですが、特にこの作品は絶対に映像化に向いていない。

主人公は小学校6年生男子。小太りで、ひたすら学校では目立たない。
映画で言えばエキストラで、マンガの中ならモブキャラ、その他大勢の輪郭さえまともに書いてもらえない、そんな存在。
モテもせず、かといって不幸なわけでもない日々。
特筆するなら、嘘つき。
馬鹿なことはオモシロイ、それが信条。

そんな彼と、信条を同じくする友達二人、三人トリオの学校生活。
時代的には昭和が背景。甘酸っぱい初恋も大事件も起きない日々。
これをジジクサイ子供の目線で、大人語訳という形で日常をつづっているのですが、それにしても大人のレトリックで語られる子供の生活の、とんでもないバカらしさに楽しさ。

これは映像化は絶対無理。

描写が視覚的な作品なら、向いていると思うのです。
実は、月村了衛さんの『機龍警察』は映像化して欲しい。

二本足歩行型有人兵器が犯罪に使われるようになった至近未来。
その犯罪に対応するために、警察が新たに『龍機兵』機甲兵装の新型機を採用。
5年先のテクノロジーを採用しているという開発の謎。搭乗員は元傭兵の3人。
警察小説でありながら、SFアクション。
乾いた文体でつづられた戦闘描写は、ぜひ映像で見たい。

これなら観に行く。
監督が押井監督か、庵野監督なら死んでも行きます。





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コメント
「生きる」を思い出しました
ごきげんようです。

「文章の持つ、独特の空気感やリズムで、見えないものを、見えるように描写するのが小説。ですが映像は見えないものは映せない」

この箇所がとても印象に残りました。
ここを読んでいて思い出したことがあります。

黒澤明監督の「生きる」です。
癌を宣告された主人公が、無為に過ごしてきた人生の最期に何か生きてきた証を残さなければと棚上げになっていた子供たちのための小公園を命を削りながら幾多の妨害と、ほとんど何もできない役所のガチガチのシステムの中で作りあげ、最後はブランコを漕ぎながら「ゴンドラの歌」を歌いながら雪に埋もれて死んでいく物語です。

この作品は脚本の構成が見事なんですが、前半後半に分かれていて前半の最後で主人公は死に、後半はお通夜の場面になるという見事な構成です。

黒澤監督は、この構成をあるお医者さんが書いた随筆からヒントを得たそうです。
筆者が奥さんを連れて小石川にある植物園に行く。
美しい草花を見て、子供のように喜んでいる妻を筆者はベンチに座って見ているという描写があり、そこで1行空白になっている。

そして「その妻が死んで1年になる」と続くんですが、「この空白を描くのが映画なんだ」と監督は仰ってます。

文章に書かれていない部分に著者の本当のメッセージがある、それを「映像」にするのが映画なんだってことなんでしょうね。
2016/11/17(木) 16:52:59 | URL | ひろみつ #AH9/n9xo [ 編集 ]
Re: 「生きる」を思い出しました
ひろみつ様

文章に書かれていないメッセージを映像にする、文章では表現できない映像が、映画にはあります。
『イブの総て』ラストシーン、イブに憧れた少女が付き人として彼女の元を訪れ、鏡の前でスターを夢見ながら踊るシーン。

合わせ鏡の中に映る、無数の少女の鏡像。

あれは文章化が難しい……空間と行間をきちんと描ける作家になりたいと思う、今日この頃です。
2016/11/18(金) 00:44:02 | URL | みほ #- [ 編集 ]
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