陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
神頼みと創作

あっちこっち神頼みしているわりに、報われていない塾生として、ついには先生のブログにまで登場。


えーえーえー神頼みしています。日本どころか海を渡り、地球を一周して神頼みしています。

実家は臨済宗と浄土宗らしいですが、願いをかなえて頂けるのなら、神道でもキリストでもユダヤでも拝火教でも贅沢は言いません。


さて、こういう節操のない神頼み精神はどこから来るんだね?

そもそも、キミは神を何だと思っているのだ?

金曜の夜には、酒を飲みながら散々言われております。


そうですねえ、と改めて考えてみる。


そもそも、神様の原型は人間では制御できない自然現象である、と思っておりまして。

特に日本人は農耕民族ですもん。

雨や日照り。ビニールハウスの無い時代、お天気一つとっても農作物に命取りですわ。

お願いだから、晴れますように……と、山登りの前日に空にお祈りしている私ですが、あれが神様に祈りを捧げる原型ではないかなと。

そこに、死生観とか現世利益とか、人のあらゆる願いや迷いに対して、答えを出すために、心の支えとするために、人が作り出した絶対的な存在が神様であり、宗教なんだろと。


そこから文化が起きる。絵画や音楽だって、神様を称えて生みだされたものが多いですし。


……と、まあ簡単に言えば、神様というものは、学術的に言えば文化や人間の思想を生みだした源であろうと。

そして、時には人の良心や、行動規範の核にもなるのです。

それは理解しているのですけど。


しかし、神様は、他力本願人間にとって『薬』なのです。

効き目があれば、それでいい。

文化的背景や教義がどうこうよりも、悩みや現状に効き目があれば、信仰という形でその薬を買い続けます。節操ないですが、シンプルでもある。


そこで、私の神頼みにつながるのですが。


まーでもですよ。想像してくださいよ。

二週間に一度は、どうやって話を展開させりゃいいのよとか、絵が思いつかないとか、うんうん悩んでいるんですよ。

ですが、突然脈絡もなく、ふと思いつく絵やシーンが、突破口やピースの重要部分になることがよくある。これを『天啓』と呼ばずして何と言おうか。

「神様、ありがとうございます! 再来週もよろしく!」

と、宗教関係なく叫びたくもなろうよ。


そう言う訳なんです。


何て非常にシンプルな信仰心なんだろう……

















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