陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
ツマラン分析

前回続き:

さて、ヤンキーをこきおろしてばかりでは芸がない。

なので、ヤンキーを擁護する(性善説を唱える)人々が何故存在するのかと、なんだってそんな風に思えるんだと罵倒……いえ、分析してみる。


①ヤンキーの友達がいた。

②ヤンキーの過去を持っている

③更生したヤンキーを知っている、もしくはそんな話を聞いた。


おおまかに分ければ、こんなものでしょう。

①にすれば、友達がワケあってヤンキーになったけど、本当はとってもいい子なのよ、とか。

話してみれば、良い奴だったとか。まあ、情があるなら仕方がないか。

②自分のがそうだったのなら、弁護したくもなるよな。

③そんなケース、稀よ。私の知る限り、天然記念物。


そして、世にはヤンキー漫画というものがございまして。

ヤンキーの主人公は強いです。

腕っぷしは互角、もしくは自分よりちょっと格下の相棒がいます。相棒といっても、おそらく授業のノートだとか、テスト勉強の教え合いだとかの助けにはならないでしょう。

つうか、学園ものでありながら、肝心の授業受けているシーンほとんどないな。

そして、手下やそのほか大勢の仲間を率いて、学校の外で縄張り争いを繰り広げるという展開の漫画が良く見られました。

で、その戦いのさなかに見え隠れする男の仁義とか友情とか男気とか、そんなものが一山いくらで描かれる熱き戦いがウリです。

『●●はうらぎれねえ』『ダチじゃねーか』

熱いセリフがやたらと骨太なタッチで描かれておりますが、ところで、親のすね齧っている分際の小僧、その生活圏である「縄張り」が広がったところで、何かいいことあるのでしょうか?

校区を広げているのか?


まあ、それおいとき。


アウトロー漫画や映画では、法や世間をはみ出したアウトローたちが、己の信念のために、強さを求めて歩む険しい道、そこにつらなる美学や覚悟、そして出会いや絆の強さや、垣間見せる優しさが話の定番としてあるわけですが。

まさか、それを現実だと思い込み、しかも一番身近のヤンキーに投影しているのか?


言っておくけどな、ヤンキーは野球なんて健康的なことしないぞ!

間違っても甲子園目指さないぞ、部室でタバコ吸って、校舎を全焼させて当たり前よ?

あのさ、新聞とか読んでいて思うけど、ヤンキーの友情って温度高いけど、強さと寛容は無いぞ。だから仲間うちでリンチに遭って、たまに事件になるんじゃないの? 


そしてトドメ


家族にヤンキーがいたらどうする?


どうせなら、真面目なほうが良いでしょ。


現実はそんなもんだ。


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