陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
お約束:考

座頭市シリーズを一気に3作ばかり、立て続けに観ていて気が付く。


座頭市物語の平手酒造といい、地獄旅の十文字糺といい、そして用心棒の三船(椿三十郎含む)といい、ヤクザに『先生』と呼ばれる浪人は、なぜ四六時中酒飲んで寝ているのだ。


まあ、作品とはそんなもんです。友達グループには必ず一人は大金持ちがいるとか、寅次郎は必ず女にフラれるとか、次々と惨殺されるのは若者グループであるとか、スポ根ものの主人公は努力型か天才型のいずれかだとか、親の決めた婚約者同士は最初は絶対仲が悪いとか、『お約束』数え上げれば整理券を配らなくては収拾がつきません。考えているだけで汗が噴き出てくる程です。


さて、ここで悩む。

お約束とは何のためにあるんだ?


読み手、受け手に『既視感』という安心感を与えて素直に作品に没頭させるためか?

それとも、この世には『作品におけるお約束愛好家』という人種が少なからず存在していて、その方々を楽しませねば、作品はヒットしないという暗黙の了解なのか?


いや、ただ無自覚、それこそお約束に物語に振り撒けば、それで良いというものではないと思うのよお約束。

お約束は、ただ機械的に存在するのではなく、ある種の必然があり、理があるのではないか?


例えば、新選組の沖田総司は肺病で早世した剣の達人。

さあ、沖田総司を美青年として扱わなくてはならない理は、一体どこに?


……今週金曜日が塾休みなもので、時間が出来たに任せてこんな思案にふけっておりました。


ネトラジのテーマにしてみよう。

塾生の皆さんへ。

このテーマをとったらダメよ。







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