陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
教訓……人は分かり合えない

例え何十年、何百年一緒に過ごしても、所詮相手とは別人格です。

生まれも育ちも別々ですので、そもそもフォーマットが違う。それでも共通点とか惹かれ合うものがあって恋に落ちたり友情を育てたりと、他人同士であっても結びつくもんですが、所詮は別々の個体ですので、融合はまずありえません。

お互い似て異なるものでしかなく、時にはそれが諍いの元になり……ああ、人類補完計画だわ。


友達というのは、お互い独立した人格であるのを許容できます。価値観は違っても、見ている風景は違っても「成程ねえ」と感心していられる。

ですが、恋人とか夫婦になると甘えが出てくる。

同じ視点、同じ考えを持っていることを期待し「理解してくれて当然」という罠に陥りやすい。

おいおい、人格違えば考えていることも視点も違うよ。相手は精神感応能力なんてないよ、第三者的目線で見れば、当然のように知っているそれが、どうして見えなくなるんだろうねえ、己が不思議。


大体、人が口にする事、全てが本心と思っているのかね?

ええかっこしいとかプライドとかやせ我慢とか、時には自分自身ですら欺いた言葉を口にするのが人間でしょうよ。

分かっていなかったとかは言わせんよ、己。


あー確かにそうですわ。分かっていましたよ『本当は、そんな事言いたくないのに……』なんて場面、そんなもん恋のハウツー本から純文学、ありとあらゆる場面で目にしましたよ。

しかし、目の前のケースがそれに当てはまるなんて、ピンとこなかったんだな。


ああ、我が上司の主任とは、しょっちゅう『キミとは気が合わないな』『人種が違うんですよ』と言っていられたのに。


人は、いつでもどこでも賢者ではない。時と相手によっては愚者だ。


身を持って知った教訓ですな。






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コメント
コメント
自明の理
ごきげんようです。

人はみな違う。当たり前ですね。
結論から言えば人はわかりあえないんです。人の心なんてわかるわけがないんです。

でも、だからといって居直っては論外であって、理解は出来なくても想像することはできますよね。

いつだれが言い出したのかわからないけど、お互いわかりあえないから「思いやる」「おもんばかる」という言葉があるわけで、それがない人は最低も最低、獣と同じだとすら思います。

「男はつらいよ」の第1作で寅がさくらの亭主になる博に言う名言があります。
「俺とお前は違う人間に決まってるじゃねえか。早い話が俺がいも食ったからって、てめえのケツから屁が出るか?」
2017/09/08(金) 14:40:04 | URL | ひろみつ #AH9/n9xo [ 編集 ]
Re: 自明の理
ひろみつ様

結論・人は分かり合えない。
それは分かっちゃいるけど、つい期待してしまうのが男女間。
言わなくても分かってくれる……という言葉は大嫌いで、そんなこと期待してもらっては困る、とは思いますが、見果てぬ理想なのか夢なのか、つい相手にそう思ってしまうんだろうな。

そう言えば『男女間で、互いに期待することが無くなったらもう関係は終わり』
この言葉は、森瑤子さんの恋愛小説の中に何度か出て来たと思うのです。
だとすれば、期待というのは希望なのか溝の原因なのか、どっちなんだと思う今日この頃です。
2017/09/08(金) 22:22:44 | URL | みほ #- [ 編集 ]
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