そもそも、灼熱の京都へ(京都陶磁器まつり)へ行かなければならないのも、先の震災でカレー皿のほとんどが割れたせい。
6皿あったんですが、5皿割れました。
残されたのは、たった一皿だ……ああ、マイセンに作家物、お気に入りだった皿たちよサヨウナラ。
つうわけで、早いところ新しい皿を買わないと、カレーが食べられない。
いや、パスタやシチューやおでんなど、作れないではないか。
「カレー皿が無ければ、どんぶりを使えば良いのよ」
職場の皆さんのご意見IN社内食堂にて。
マリーアントワネットの有名なセリフに似ていますが、中身はどこか生活じみてます。
イヤですよ、と私。
「正当な皿を使わずに、間に合わせの皿にご飯とルーを盛るなんて! カレーを愛するものにとってはは、そんないい加減な事は出来ません! カレー愛に殉じる以上は、皿もきちんと確保!」
「つうか、何でお宅はカレー皿が6枚もあったのよ。フツーは一枚でしょうが」
「チキンカレーに牛肉カレー、キーマカレー、具材などによって雰囲気は異なりますから、その時々に合わせた皿をチョイスしていたんです」
カレーを愛するが故です、と言い放つ私に、先輩突っ込む。
「カレーを本当に愛していたら、どんぶりだろうがコーヒーカップだろうが、容器にゃこだわらないと思うけどね」
「……少女漫画鉄板セリフ『何だって良い、君さえいていてくれたら、何も要らない』それが真実の愛でしょうが。カレー入れる容器がないから食べられないって、それは真実の愛なの?」
「……」
「それに、ちょっと前にオタク、カレー腐らせなかった?」
己の愛というモノに揺らいでいる私。
でも、カレー皿は買いました。