陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
駄文更新
本日、大木ミノルさんと塾長のイベント参加。
家に帰ってブログ書けるか分からないので、会社昼休みに更新。
一度くらいお休み……なんて訳にはもういかないの。
だって、もうすぐ連続730回達成。
誰も何も言わないけどさ……
いそいそイベント

そう、思えばあれは『怪異の間』だったっけ。2016年の夏、心斎橋で40日間ぶっ通しで行われた怪談イベントです。

日替わりでゲストの方をお招きし、怪談を語って頂くという趣向。

確かこの日、中山塾長は不在で、ゲストの方がお一人で演者をされていたんですよ。


そう、映画監督というご職業から、心霊動画やスクリーンを使われて「怪異と怪談」と語られていらっしゃいました。

お客様……大爆笑でした。

私も、腹筋が鍛えられるほど笑いました……映画製作悲話、それは制作資金とスケジュールの戦い。

撮影中にスタッフたちが遭遇した怪異! 

しかし、それも資金節約のため、撮影ロケが深夜の山中でせざるを得なかった……そんな苦労のせいで幽霊を視る羽目に……

そして、あるカット、鏡に映る謎の女! その時は出番の俳優以外、鏡に映りこむはずはないのに……だけど、この俳優、何回NG出しているんだ!

その桁違いなNGの回数に気が行ってしまい、編集の人は、鏡に映る謎の女という、カットの異変にすぐには気が付かなかったとか。


あの日、会場の入り口付近まで響き渡るお客さんの爆笑に、通りがかりの人が『あの~、何のイベントですか?」と、お化け屋敷の看板を見上げながら質問されたほど。


……あああ、嬉しい、また大木ミノルさんの怪異トークが聞ける!

しかも、先生と共演だ! 嬉しいったらありゃしない。どれだけ怖くて、どれほど大笑いできるか。


いそいそと、明日着ていく服を選んでいる最中です。





『書ける』と『面白い』の差

課題を書いておりまして。

『展開が定番なんだよなあ」

合評で評されたのが、上記のお言葉。

『脱・定番や。書き直し』


うーん。

つくづく、書いたり読んだりしている内に分かったのは『書ける』『面白い』は違うという事。

最後まで書き終える、これは小説書く際のお約束、これが出来なきゃ始まらんというものです。

最後まで、最終章の『了』までか書かないと、そもそもスタートラインにすら立てないわけです。

物語にも定番の展開、というものがあって、その流れを沿ってストーリーを組み立てて行けば、何とか話を最終章まで持って行けない事も無い。

でも、それって非常にギャンブル。何故なら、オチが見える展開は読んでいて萎えるんですよ。


いや、オチは見えていても、その途中経過が見えない『どうせハッピーエンドだろうけど、主人公、ヒロインとも、この状態から抜け出して、どうやってハッピーエンドを迎えるんだ?」そんな展開なら良いのですが

「あ、やっぱり、ここで二人のよき理解者が死んだな」

「でもって、やっぱり主人公に対して、死に際に人生は一度きりだ、なーんてこと抜かしたな」

と、展開がパノラマビューではイカン。

最後まで書くのは、もう当たり前。

問題は、その上でどう面白く書けるか。


脱・定番といわれると……考えるな。

何しろ、定番は一つではなく、様々な『定番』がありますから。第一、自分で考えたオリジナルも、自分自身が知らないだけで、どこかの定番と激似だったらどうするよ。


悩んでいます……ご町内ナイト・オブザ・リビングデッドの『脱・定番』

しかし、定番という血まみれ極彩色が『ホラー』なのでは……嗚呼

悩みは深い




幽霊視るには

霊感ゼロ、マイナスにしても、幽霊を見た事なく、感じた事も無い……ということは、もしかして私は物の怪に無視される、すなわち『寄ってこない』『敬遠される』という事か。


ふむ、と思う私。8月の怪談キャンプに備えなくてはならない。

準備するものは、おやつと着替えだけでいいはずないのだ……せっかくの地に降り立って、結局全く収穫なしならまだしも、周囲の皆さんの楽しい悲鳴の中、孤独にぽつんと取り残されたら……それはイカン。

と、言う事でネットや記憶で「幽霊に遭いやすい、取りつかれやすい人」という特徴を上げてみる。


●同情しやすい人、頼みを断れない人……その優しさが、何かを訴えたい霊を引き寄せるそうで。

●落ち込みやすい人……ネガティブは同調しやすいとか。

●暗示にかかりやすい人……過敏に反応、恐怖で妄想に引き込まれてしまいやすいとか。


さて、己を振り返ってみた。


同情しやすい、優しさとは無縁です。同情? される方も厭なことあるじゃん。第一、私もそうだしさ。頼みがある? でもイヤなものはイヤだモーン、断るわよ。どうしてもというなら対価を寄越せ、ちなみに一番嫌いな言葉は「ボランティア」ですよ。

落ち込みやすい? ああ、落ち込むというより『やさぐれている』の方が近いな。

可憐で清純だった過去、世間の不条理に苛立ってモノにあたることも多くて、会社の金庫室の入り口を蹴りまくって、鉄格子のドアを壊したことがあったっけ。

「ああっ 何で壊れとるんやあ!?」

慌てる周囲に対して「さあ?」と、ちゃんとすっとぼけましたがね。

暗示で妄想に引き込まれやすいか…‥妄想癖はあるけど、持っているのは被害妄想とストーリー妄想。暗示の産物とは異なる気がする。


ここまで考えて、気が付いた。

幽霊視る云々以前に、自分自身の性格が人としてどうかという気がしてきた。

ついでに言えば、幽霊を視たがっている人に限って、あまり見ないという説もあったりする。

……性格といい、願望といい、二重にダメじゃん。

己を試す……怪異

霊感ゼロ、それどころかマイナスの疑いさえ持たれる私。

思い出すこと2016年の夏、心斎橋で行われたお化け屋敷『人形の家』最終日。

すぐ傍に会ったセットのトタン板が、謎の陥没。受付と会場を含むスペースで大音響が上がったはずなのに、それが聞こえた、聞こえなかった人が見事に半々に分かれる。

受付にいた私は、問題のトタン板から二メートルも離れていないのに、聞こえず。

実は、ベランダだの台所だの、妙なモノの目撃情報、実は満載の隠れたる心霊スポットの先生宅でも、全く感じたことなし。


格好の機会ですわ、8月24日。

何せ『怪談狩り』にも掲載された心霊スポットです。しかもキャンプで怪異を語り合うという催しです。おお、これは『霊的ボリシェヴィキ』のアウトドア版、明るい集団編ではないか。

あの映画では、あの世を召喚するために『この場を乱す』として、お守りを捨てられていましたが、リアルでは如何なものか。

さすがに持ち物検査は無いでしょうが、私がこっそり持ち込んだお守り、魔除けグッズの効力のせいで、怪異が一切起こらなければ、それはある意味、イベントの失敗ではないのか?

それはいかんな。怪異遭遇を期待して集まるイベントなんだし……て、本来禍々しいものに、妙に明るいものを持ち込むのが怪談ファンというものですな……恐るべし。


よし、試してみようと思い立つ。

受けて立とうじゃないのさ。

ホラー書いている以上、場の空気とか雰囲気とか、リアルで感じ取る必要があるではないか。

ここまで決意して、不安はただ一つ。

で、ここまでして、結局怪異に遭えなければ、もうオシマイですな。

……一生見ることは出来ないかも。