陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
短文更新:書く儀式

白状しましょう。課題小説がスラスラ進んだことはありません。

自分で選んだテーマ、自由課題のはずだけど、己の脳内妄想だから、設定も世界観も全て思い通りのはずなのに、合評で『ススメ』と言われた時に襲われる、あの焦燥感と追い詰められ感は、何ででしょうな。


朝の10時、ここに入ればネタが浮かぶというジンクスを、自分で勝手に作った会社のトイレに立てこもり、以前、ここを歩いてアイディアが閃いたという経緯を持つ道を往復し、想像力を高めるというパワーストーンを、穴が開くほどじっと見つめる。


……と、いう儀式を毎日繰り返して、ついに水曜日。

まだ浮かばない。

明日までには書き上げないとタイムアップ。


果たして、今回もジンクスで救ってもらえるんでしょうか……

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光と影:落ち込んだってそんなもん

大阪てのひら怪談、佳作受賞、中野さん!!!


前回に続き、二連覇ですよ。目出度いですよ。

中野さんについて、嬉しい講評を聞いてまいりました。

『文章が綺麗でけれんみが無い』『すぅっと読める文章』

その通りです。私は中野さんが入塾した時からの作品、読んで知ってますもん。

文章が川の流れのような綺麗な文体で、クセが無い。

描写が鮮明なんですわ。

分かりやすく、的確な情景が彼女の特徴です。そりゃ二連覇もするわな。


そして、光あれば闇アリって事で。

はい、今回も私は落選よ。

落選した事だし、心に暗闇を抱えた荒んだ日々を送ってやろうと、意気込んで出社し、今度こそ世間の同情をかって、飴玉1つでも貰おうと思っていたんですけどね。


主任:只今本部との仕事の調整で激務。しかも、仕事の舵を取るはずの本部の人間があてにならず、私以上に荒んでいる真っ最中


人格者の課長、その他もろもろの皆さん:部の最高責任者がインフルエンザに倒れる。得意先との商談予定やそのほかもろもろのスケジュール調整に駆け回って大忙し。

仕事をしていると、そんなもんよねと思います。


何があり、例え落ち込もうと、心に魔を住まわせようと、組織や世間というのは絶えず動き回り、私の事情なんか蚊帳の外。

ワタシの心情がどうであろうと、世間にとっては無関心どころか無も同然。個人個人の人生なんて、世の流れにとっては、水面の葉のごとく呑み込まれてしまうものよね、と受け取るか。

どうせ葉っぱみたいなもんだと小さく考えるか。


アンニュイに空を見上げて思い出す。

今週、課題の提出週だった。

結局、落ち込んでいるヒマは無いのよね。

従順か否か

前回の続き。

塾長に対して、塾生は従順か? という事ですが。

塾長は会社の管理職ではありませんし、教祖じゃない。塾生は部下でもないし、信者ではない。

ですので、異なる価値観や考えに、何の疑問も抱かずに従順に従うことは、まずない。


現在の塾生は、社会人です。

社会の一員として日々を過ごしてきた中で、身につけて来た考え方であるとか、価値観を持っています。

その考え方が、必ずしも塾長と全て同じとは限りません。

納得できることもあるし、そうではないこともある。

塾長の言葉に疑問を抱き、その意味を問う事は勿論ある。


当然、議論に発展することもあります。

しかし、ここまあくまで『師と弟子』という信頼関係の上でなされる問答です。たまにブログに紹介されてはいます。ブロクの内容は忠実ではありますが、その時の空気感は、実際にいた当事者たちにしか分からないものだってあります。


そうやって、塾生は自分の中で考えを咀嚼して飲み込み、塾長の言葉に納得するのです。

塾長に従う事は一見同じように見えても、単なる従順というわけではない。


塾生が塾長に対して、従順ではない事を快く思われない方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそれを悪い事とは思ってはいません。


他者の考えや価値観に対して何の疑問を持たず、自分の事も言われればすぐに捨てられる程度のモノしか持っていない人間が、何かを表現できるとは思えないからです。


そういうわけで『私は従順ではない』という事を暴露したのですが。


……次回の提出課題、受け取ってもらえなかったらどうしよう。


ブログについて

さて、前回の続きです。

私にとって、ブログ更新は目的だけになってやしないか? ですが。

ブログ更新は目的じゃなくてツールであり、自分に対しての試金石です。


ブログというのは、現在作家志望としての自分を売り込むツールにもなる、というのが作劇塾での教えです。しかも可能であれば、毎日更新。

だけど、修行中の道や頭の中さらけだすのも、ネタが尽きることがあります。

かといっても、私は普通の会社員。


これがジェームズ・ボンドであれば、非日常が日常で、コンビニの買い物一つも国家機密に絡みそうな彼。

彼がブログを始めるならば、英国諜報部の日常垂れ流しでも極上のネタでしょうが(そうなれば、ボンドの上司Mが即刻ブログを閉鎖させるだろう)私の日常は劇的日々を送っているわけでもない。


それでも、毎日更新となると、日常ネタを出さざるを得ない。

面白くもない日常書いて更新するのか? それは更新が目的になってやしないか? 


内容の無い一般人の生活垂れ流しの中に、自分の更新も同じようになるくらいなら、最初から更新しない、というものもあるでしょうが。

だけど、ブログを始めた以上、それは一種のふて寝だなと思う。


特に私の場合はモノカキ志望ですから、日常生活垂れ流し内容で更新する事すらできないのは、修行中の身としてどうよ? と。

私の場合は、特に塾生として、作劇塾のリンクに貼って頂いています。

そうなると、礼儀としても最低限の更新は礼儀でもある。


『私は1日8時間労働の普通の会社員で、主婦でもあります。作家志望ではありませんが、宗教や世間、読書などで考えていることをブログに書いて、1日2回は更新しています。アナタはモノカキ志望でありながら、何で1日1回なんですか? しかもその程度の日常ネタ垂れ流しなら、私4回は更新できますよ?』

こんな人に、垂れ流しを諫められたら、納得。


己に関して言えば、才能がない自分自身、つまらん日常を垂れ流してでも更新しなくては、モノカキ志望として失格であると思っています。

毎日のブログ更新はそういう意味で試金石なのです。


さて、次は『従順か否か』について

作劇塾と飲み会

さて、作家志望となり、塾に通って何百年が経ちまして。

色々な塾生さんを見てまいりましたが、同時に私自身も見られています。


キミは塾に通って長いよね? それでモノカキとなる目的に近づいたのか?

目標には手が届きそうなのか?

もしかして、塾に通う事、それ自体が目的になってんじゃない? とか。

ブログだって、毎日更新はしているけど、更新する事だけが目的化で、単なる日常の垂れ流しになっているんではないの? 

飲み会には出ているけど、ちゃんとその場を有効活用出来ているの? とか。


私が作劇塾に通っている目的ですが。


モノカキという職業に就きたいからです。

ですけど、目標に手が届くかどうかは、それは分かりません。

芸事というのは、対価として金を取れるレベルに達せるかどうかは、他人から教えてもらえれば、必ず出来るというもんじゃない。

個々の素養、才能やセンスの問題もあります。

しかも、それははっきりと目に見えるもんでもない、自分でも可能性があるのかどうかすらわかりゃしない。他人だって、ハッキリとは言わないですよ。

あんたには才能無いよ、何てね。


あるのか無いのか分からない可能性のために、才能もないかもしれないのに、何で塾に通っているの?

と聞かれれば、私の答えは一つしかありません。

「積み上げるため」

本来なら行かなくても良い塾に通っている理由は、それに尽きます。

通ったからといって、才能が開花してモノ書きになれると約束されている訳じゃない。

でも、才能無くても、そこで経験を積み上げる事は出来る。

今は、私にとってそれしか無いです。合評では下手くそと言われ、応募したら落選し、自分よりも優れた人を見て頭を抱えても、それが経験値の積み上げだと。

好きな事だからこそ、上手くいかないと落ち込む。

才能無いなとつくづく思う。

しかし、才能は無いかもしれなくても、積み重ねることは出来る。

そして幸いなるかな、積み重ねは場合によっては万能の必須アイテムとなる。


私にとって塾は、それを教えてくれた場所であり、時に仲間と創作アホ話をして、時にけなされ、救われる休憩所でもあるのです。


飲み会ですが。


ハッキリ言おう「お客さんの立場」つまり、他の人たちに対して『さあ、オレを面白がらせろ』という態度の人は、あんまり面白くないかもね。

今の話題がつまらないなら、キミがそれ以上に面白い話題を提供しろってモノです。

モノカキとは「書く芸人」ですから、その辺りのスキルも必要となる。

映画のあらすじを語らせたら超三流。どんな名作でも格調を堕とすと言われるワタシの語り口も、一種の芸ですわ。

語るでも聞くでも、参加すれば面白いです……というか、人の話を面白がるというのも一種の芸。

それが飲み会で朝まで過ごすコツ。


次回は、ブログについて書きます。