陶磁器と文鳥と作劇塾
作劇塾の塾生です。塾での日々、及びアンティークや陶磁器類、そして文鳥の雑文
私怨

私怨です。

いつもの上品さはありません、

善良なる方々の、気分を害する表現が多々あることを、前もってお断りし、お詫び申し上げます。



梅田はJR前の歩道橋や超大型電気屋周辺で、路上ミュージシャンの歌が聞こえるのですがね。

何であんなに下手なんだ。

どうしてあんな音程が狂った歌を、街中に行き交う不特定大多数の皆に聞かせようと思える?


音響機器の音は割れているし、有名バンドのコピーするなら、それなりの仕上がりを見せるか、それ以上の歌唱力を持ってからにしろ。

そんな禍々しいともいえるコピーで、歩行者の中に潜むファンからよく殺されずに生きて来たな。


同じ下手くそでも、のびたやその周辺の人しか迷惑をかけていない、剛田武くんよりひでえよ。

下手くそな小説は文章から目を離せばそれでいいけど、下手な歌はそうはいかないのよ。


取り締まってくれとは言いません。あれも一種の音響テロだとは言いませんし、自意識が暴走して己を見失っているぞこの音痴とも言いません。

人様の音楽的感覚を破壊するんじゃないよ、そんなに歌いたかったら段ボール箱の中に入って、ぼそぼそ口ずさんでろなんて、死んでも言いません。


ただ、路上で歌うにはそれなりの技量が無いと歌えないよう、審査する機関を設けて欲しいです。




課題を落として良い理由

まず、黒和牛のしゃぶしゃぶ用肩ロースが半額だったんですよ。

グラム1,000円ですよ!! それが半額!!!

買うでしょ? しかもアサヒポン酢が残っているんですよ?


で、赤ワインが残っていましてね。ボトル半分ですけど。

イタリアワインです、テンプラーニョって種の葡萄使っていてね。

軽くて好きなの。

しゃぶしゃぶには合うだろ。

しかも、夕餉のお供はルパン三世、イタリア編です。良いねえ。

ちなみにワインの銘柄は分からんので、使われている葡萄の品種で飲んでます。

おいおい、飲んだら書けないんじゃないのか?


ほほほ、これ以前に、日曜日を山で潰したので時間がタイト。

課題は無事に書き上げられるのかしら?

おお、洗濯もしなくてはね。


……と、言う訳で。


作劇塾の塾生として、提出課題を落とす理由として、最も許されるものを上げよ……と言われたら、どれなんでしょうね。


①酒を飲んでそれどころじゃない。

②書く以外の好きなことを見つけてしまった。

③洗濯していた


さあ、どれだ!?


ちなみに、作劇塾的に大目に見てもらえるのは『ついに意中の人と恋仲になったので、書いている場合ではない状況』だそうです。


がんばれ、皆さん。


モノ書きについて悩む

たった2度しか会っていないのに、何故あのひとの事がこんなに忘れられないのかしら……

たった2度、だけど2度も会ってしまった。私の記憶に深く刻み込まれたあの時間。

いけないわ、私には親の決めた許婚がいるというのに……


「なんて感じでしょうかねえ。私の登山。今まで一番物書きが好きだと思っていたんですが、それが揺らいじゃいましたよ。正に現・許婚と新しい青年との狭間で揺れる令嬢の気分。どうしたものでしょう、モノ書きと登山、私が本当に愛しているのはどちらなのか?」


ちなみにこの場合は、現・許婚は繊細なハンサムのお坊ちゃんで、飛入り青年は粗野なハンサムでサバイバル能力旺盛って奴でしょうかね、と付け足してみる。


「恋愛小説を書くセンスはないな」


そのアドバイスだけを残して、女性上司・主任は会議に行かれました。

有益だけど答えになってないです。主任。


しかし、これは少々考え込んだ私。

いい年をこいて、今までそうだと思っていた自分が揺らぐ、というのは、どんな形であれちょっと戸惑うものです。

気が付いてしまったの……もしかして、私は『あっちこっち迷ってウンウン唸る』四苦八苦した挙句『あー良かった、何とかなった』とバンザイするスリルとサスペンスが好きなだけか?

それであるなら、書くのも登るも何でも良いのか私!?


「まあ待てよ、とりあえず、モノを書くというのが自分にとってどういう意味を持つ事なのか、もう一度検証しようではないの」


そうですねえ、まず妄想から入る。

この散らばった破片をつなぎ合わせ、文章とストーリーで埋めて一つの物語を作る。

ふむ、この形を作る作業が好きなのよね。

そうそう、曖昧模糊とした場面を、文章化することで浮き彫りにする作業。

キャラクターの肉付けとか、その周辺の人々から集団、周囲の建物から街並み、どんな背景か設定を色々考えて、主人公を核にした、いわば一つの世界を作る作業。

ほほほ、つまりは造形主であり、創造主であるわ・た・し。


あ、良かった、ドキドキはらはら以外に好きな要素があったんだっけか。


なら良いや。

好きなことが増えただけだと安心。


山岳怪談の怖さ

山に登ってみたら、どうも性に合っているらしく、アウトドア用品店でボウッと登山用のウェアだの用品だのテントだのを見ている私。

まだ目新しい段階ですからね、これがまた楽しい。

それに、アウトドア用の衣服というのは街歩き用と違って、デザイン性よりも機能性重視。

やれ細身だのシルエットがどうこうより、足さばきの良さや湿気の逃がしやすさ、保温性などを追求しているわけですから、いつもとは違った視点で洋服を知るのです。

見る風景が変わるのは楽しい。


そして、当然山岳怪談も読みふける。

私の中では、安曇潤平さんの怪談がお気に入り。

作者の方が山男ですので、描写される山の風景が綺麗で緻密。

その美しい山も、数々の命を飲み込んできた魔性です。

日本アルプスなんて、標高自体はそう高くはないらしいですが、冬の登山の難しさは世界レベルらしいです。

本州のほぼ中央に、屏風みたいに重なっているので、山頂付近の気圧が複雑に絡んで天気を急変させるそうで。

行くなら夏にしておこう。うん。


私の怪談好きは「怖い」という感覚で遊んでいるわけです。

怪異が自分の生活に触れるか触れないか、ギリギリのところ。起こるようで起きない、でも起きても全く不思議ではない、そのリアリティを味わうもの。

でも、どうせ霊感無いからと、たかをくくっている部分もあるんですけどね。


ですが、山岳怪談は身に迫って怖い。

六甲山や摩耶山という、家族向けの山ではありますが、ふとした拍子に『異界』になる瞬間があります。

誰もいないはずなのに、気配に飲み込まれる感覚に襲われるのです。

普段では絶対にないこの感じ。

霊感もへったくれもない私ですが、妖怪も物の怪も幽霊も、地続きに存在しているこの空間なら、視えてもおかしくない、と思わせます。

読んでいて思います。あの場所でなら、この私ですら、さ迷える遭難者や転落死した人にすれ違っていても、不思議じゃない。


……すでにすれ違っていたら、どうしよう。

その時は……先生すみません。


怪談ネタを一つ逃しました。



はまりそうな予感

山を登って歩いていると、なんでこんな事をしているのかな、なんて思うのです。

歩きやすい道もあるけれど、そればっかりじゃない。

ガレ場といって、大小ゴロゴロした岩や石で路面は荒れている道あり、木の根っこが縦横左右に走っているので、たまに足をひっかけて転びそうになるし。

分かれ道を前に、どっちに行けばいいんかいな? と悩んだりします。

何せ山道だもん。道に迷っている間に暗くなったら、コトですよ。

焦るよなぁ。だって道に外灯ないんだもん。真っ暗よ。

山中で道に迷うのは、街中で迷う5000倍くらいの恐怖を感じます。

ちなみに携帯は『圏外』


それなのに、無事に山を下りてアスファルトの上を歩いていると、妙な寂寥感を感じるのです。

あの山中を歩くスリルとサスペンスと、孤独感が、振り返ってみたら楽しく思えてくるわけで。

それに、山の上から下を見る風景は、やっぱり日常ではまず見られない高さからの視界。

やっばいなあ、これって一種の刺激欲しさからくる中毒症状だと自己診断。


いや、別にいいのよ。中毒症状でも。

結構怖いのは、モノを書くよりも夢中になったらヤバいよな、という不安でして。

ああ、でもやっぱり山登りは楽しい。

あの、苦行と趣味が入り交じるこの楽しさ。次は六甲山から摩耶山を縦走してみようか……と調べていて気が付いた。

あれ、もしかしてこの感覚は……?


あっちでいいのか、こっちでいいのかウンウン唸りながら前に進み、たまに間違えて引き返し、そしてまた歩き出す……と。

道が悪くて苦労はするわ、そうかと言えばすいすい行けるし、目的地に到達したときのあの達成感よ。

そして、歩いてきた道筋を見返して『ふふふ、こんなに歩いちゃった』なんていい気になるあの感覚……あ、成程。

ポン、と手を打つ私。


山歩きの道中は、モノ書きの道中に似ているわ。


しかしそうなると、私はモノを書くのが好きなのか、それともウンウン唸って迷うのが好きなのか。

またも疑問が出て来たなあ。


とりあえず、山に登って己を見つめてみるか。